鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 610 ―― 610 ― 前掲注⑽、95頁。 前掲注⑴、62頁。 樋口弘『幕末明治の浮世絵集成』味燈書屋、1962年、90頁。 アン・ウォルソール「楊洲周延と千代田城の女中たち─一九世紀末のノスタルジア─」『季刊 拙稿「江戸を振り返ること─『黄金期』はなぜ『黄金期』なのか」『美人画の時代─春信から 前掲注⑶、140頁。⑺平木浮世絵財団編『没後百年 楊洲周延 明治美人風俗』展図録、2012年。⑻前掲注⑶。⑼悳俊彦解説「楊洲周延」国際浮世絵学会編『浮世絵大事典』東京堂出版、2008年、501-502頁。⑽鈴木浩平「高田藩士から美人画の浮世絵師へ─激動の幕末・明治を生き抜いた橋本直義の軌跡─」『楊洲周延=橋本直義─高田藩士が歩んだ浮世絵師の道─』展図録、上越市立総合博物館、2012年。⑾吉田氏・千頭氏目録では明治5年に「吉原売女解放退散雑踏の図」が記載されるが、宮武外骨編『明治奇聞』(1929年)では明治13年の版本挿絵と紹介される。同図が『新聞集成明治編年史』第一巻(1934年)で明治5年の挿絵に使用されていることからの誤解と思われる。また明治8年に「金竜山真景」も挙げられているが図版は未確認である。⑿先行研究では明治10年より「上野北大門町十一番地」に居住したと記載される場合があるが、画中の記載から明治9年にはこの地に住していることがわかる。⒀前掲注⑴、22頁。⒁日野原健司氏は、『東錦昼夜競』を明治中期の歴史画のブームに位置付け紹介する(「【資料紹介】楊洲周延『東錦昼夜競』」『太田記念美術館紀要 浮世絵研究』第2号、2012年)。⒂菅原真弓「芳年の『歴史画』─『歴史画』以前の歴史画として─」『月岡芳年伝 幕末明治のはざまに』中央公論美術出版、2018年。⒃前掲注⑴、Joshua S. Mostow ”Setsugekka: Snow, Moon, Flowers” では、女性主題の割合が高く、実質的には美人画シリーズとなっていると分析されている。⒄岩切友里子『芳年『月百姿』』東京堂出版、2010年、154頁。⒅岩切信一郎「『教導立志基』について─明治中期の浮世絵界の動向を探る─」『浮世絵の現在』、勉誠出版、1999年。⒆前掲注⑺、新藤茂「楊洲周延序論」、5頁。⒇この祭典の浮世絵への影響については、前掲注⑽鈴木氏論文のほか例えば庵原理絵子氏による指摘がある(庵原理絵子「幕末から明治期社会における〈浮世絵〉の果たした役割に関する動態的研究─浮世絵師芳年の端境期における制作を中心に─」『鹿島美術財団年報』27号、2009年)。日本思想史』第77号、2010年、43頁。前掲注⒆、19頁。歌麿、そして清方へ』展図録、町田市立国際版画美術館、2019年、194-195頁。

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