― 614 ―― 614 ―2.2016年度助成①平安~鎌倉期における阿弥陀浄土図の展開1 はじめに先行研究において「和様化した阿弥陀浄土図」として一括りにされてきた阿弥陀浄土図の一群がある。それらは平安時代から鎌倉時代にかけての作例であり、綴織當麻曼荼羅(奈良・當麻寺所蔵、国宝)に代表される、唐からもたらされた阿弥陀浄土図とは異なる図像を有するが、その成立については、奈良時代にもたらされた図像が、日本で変容したものと説明されてきた。しかし、各作品についての詳細な検討は行われてこなかった。そこで筆者は、すでにこの一群に数えられる画像のうちいくつかについて図像典拠の検討を行い、それらが恵心僧都源信の著作のうち、『往生要集』や『極楽六時讃(六時和讃)』(以下、『六時讃』とも呼ぶ)を主要な典拠とすることとともに、図像には宋代仏画との共通が認められることを明らかにした(注1)。本稿ではこれを踏まえ、源信作とされる和讃『極楽六時讃』を典拠とする岐阜・新長谷寺所蔵の阿弥陀如来立像厨子扉絵(鎌倉時代、13世紀、重要文化財)を取り上げ、その図像を検討する。新長谷寺の厨子に描かれる極楽浄土の情景が『極楽六時讃』を典拠とすることはすでに指摘があるが(注2)、そこに表された具体的な図像についてはこれまで紹介されていない。しかし、この系統の阿弥陀浄土図の展開や製作背景を追うためには、本作の具体的な図像の把握が不可欠であるため、ここに示すことにした。2 新長谷寺(岐阜県関市)の阿弥陀如来立像厨子扉絵阿弥陀浄土の造形化に際し、源信の『往生要集』や和讃『極楽六時讃』が典拠とされたのはいつからなのかは明らかでないが、遅くとも院政期の12世紀前半、鳥羽院周辺で『極楽六時讃』を典拠として阿弥陀浄土が造形されたことが知られる(注3)。『極楽六時讃』は、一昼夜を六分した六時(晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜)各々の、極楽浄土の情景を往生者の視点で美麗に謳うもので、往生者の極楽での一日を追体験できる内容である。古い写本が残らず、源信作か否かの真偽については説が分かれるところもあるが、美麗で文学的完成度の高い修辞、多数の経典を引用する態─「和様化した阿弥陀浄土図」の実像とその成立背景─研 究 者:奈良国立博物館 主任研究員 北 澤 菜 月
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