― 619 ―― 619 ―〈日没〉た太鼓橋を渡る菩薩衆は、同系統の阿弥陀浄土図(鎌倉時代、九州国立博物館所蔵)に類似した表現がある。日中讃の三面を通覧すると、色紙形は総て補説から引用された抽象的な偈頌が中心となっているものの、色紙形そのものを絵画化するのではなく、他で語られている極楽の情景を描いている。それは蓮池や奏楽の菩薩形といった一般的な阿弥陀浄土描写と言えるが、触れたように一部の図像には、同時期に製作された、同系統の他作例と共通する図像を見出すことができる。日没讃は奥扉の左端の面の下方4分の3と、左から2番目の面に表されている。色紙形の讃は以下の通り。第7面下方(上から順。六時讃では①→②→③)①「妙[智清浄]月/大悲[無垢輪]/一切[悉施安]/[願垂照察我]」(日没)② 「通達諸法性/一切空無我/専求厳佛土/必成如是刹」(日没)③ 「面善圓浄如満月/威光猶如千日月/聲如天鼓倶翅羅/故我頂禮弥陀尊」(日没)第8面(上から順。六時讃では②→①→③)① 「陰[人諸界如]幻化/三[界皆如水中月]/衆[生虚偽性如夢]/[以智分別説是法](日没補)②「[現作種々]身/[為衆生]説法/[具足施]功徳/[悲愍諸衆生]/(日没補)③「雖知諸仏國/及与衆生空/而常修浄土/教化於郡生」(日没補)日没讃は他方から戻り極楽内を遊行した菩薩衆が住処に帰るという時、諸々の菩薩や賢聖が極楽浄土に来至することを語る。そして文殊師利が菩薩とともに来至すること、観音菩薩が極楽に於いて華厳など様々な教えを説くことが述べられる。補説ではさらに多数の来至が説かれ、普賢大士、弥勒(慈氏尊)、地蔵、虚空蔵、海慧菩薩、維摩居士といった諸々の菩薩や賢聖が眷属とともに極楽浄土へ来至することが説かれる。まず、第7面は、下方4分の3程度が日没で、上方4分の1には次の初夜が表されている。画面中ほどの、左側に立つ楼閣の左上と右側に各々色紙形が置かれる。その下には、二本の宝幢を挟んで阿弥陀三尊の台座が各々置かれているが、よく見ると向かって右の台座には菩薩の姿がない。阿弥陀は両手を胸前にかまえている(説法印か)。三尊の台座の前には跪いて合掌する菩薩がおり、これが台座から降りた観音と考えられる。脇には羅網に包まれた大きな極楽の宝樹が表されている〔図3〕。周囲
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