鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 620 ―― 620 ―には奏楽の菩薩衆と合掌する菩薩衆が集っている。左上の色紙形は極楽の阿弥陀を讃じる偈頌(①)で、右の色紙形は観音が説法を行った後に述べた偈頌(②)を引用する。よって、ここに描かれた図様は、菩薩衆に対し説法を行った観音が、続いて阿弥陀を礼讃する場面と見える。さらに観音の真下に色紙形(③)があり、ここには菩薩衆が阿弥陀を讃じた偈頌が記されている。また、集会に含まれるであろう合掌や奏楽の菩薩衆が色紙形下方の左右に座る。その下には大きな蓮池が表される。汀には蓮花を踏む菩薩衆五体とともに僧形の姿が認められる。池には大きな太鼓橋がかかる。開花した蓮華のなかには新生の菩薩が二体ずつ二組表されている。『六時讃』を参照すれば、「是等の無数の偈を以て/佛を讃じ奉まつらむ/すなはち時に自然に/無数の妙花みだれ散り/一切天人ことゞく/妙なる音楽奉奏せむ」との文言に対応するかと考えられる。ただし蓮池に菩薩が生まれることは日没讃に説かれない。あるいは次の初夜和讃に「見佛聞法ことをへて/もとの坊に還るべし/(中略)/あるひは金蓮華の中」とあるのに対応するかもしれない。僧形が表されるのは、補説に説かれる地蔵の来至を示すとも考え得る。続いて第8面を見よう。第8面には日没讃に説かれる様々な菩薩や賢聖の来至が具体的に描かれる。上方は画面の剥落のため見えない箇所も多いが、左上に色紙形(①)があり、その下に雲に乗り右上から左下へ向かう如来と二菩薩が認められる。色紙形に説かれるのは地蔵来至を説く部分の偈頌であるが、剥落も多くその姿は確認できない。その下は雲が広がり右側に楼閣が表され、その横に雲に乗る一行がある。楼閣の左にもう一つの色紙形(②)が認められ、弥勒の来儀を説く部分の偈頌であるが、一行の尊格は明らかでない。あるいは僧形とも見え、地蔵一行の可能性が考えられる。さらに下に行くとまた右に楼閣、その左下に雲上の仏菩薩らしき一行が見えるが、一行の図像は不明瞭で確認できない。続いてまた右に楼閣、その左下に一行が見える。この一行では後方に三体の天部が認められるほか、前方の主尊の脇付近に手綱を持つと思しい侍者が描かれるので、普賢来儀である可能性が考えられる。さらに下の楼閣と左下の一行は、よく見ると獅子座が認められるので文殊の一行であろう。周囲には奏楽の菩薩衆が描かれている。その下は、右に光を放つ多数の楼閣が表され、そこから左上に向かい雲に乗り飛んでゆく一行が見える。如来形を中心に周囲を菩薩が囲むが、これは四十九重摩尼殿のある兜率を離れる弥勒一行を示すのであろう〔図4〕。本来兜率にある弥勒は菩薩形であるべきであるが、ここでは如来形で表されている。その下にはまた色紙形(③)があり、色紙形の横には楼閣があって、そこから飛び立つ一行が見える。この一行は蓮華形の冠を被り、手に払子をもつ老形が先頭に

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