― 621 ―― 621 ―〈初夜〉〈中夜〉見えるので、維摩一行である(注9)〔図5〕。以上のようにこの面には、各々の住処を離れ、極楽浄土に来至する様々な菩薩衆と賢聖を、右側に彼らの住む楼閣、左側に楼閣を離れ雲に乗り極楽へ向かう一行を組み合わせて描くことで示している。最下方には木々が立ち、天部らしき四体が歩いている。宝珠を手にしているように見えるので摩尼宝珠を手にすると説かれる兜率の天人かもしれない。初夜は補説もなく『六時讃』の本文が短く、厨子における描写も、第7面の上方4分の1程度と極めて少ない。色紙形の讃は以下の通り。「或時大勢至/念佛三昧説給/或時金剛手/般若理趣説給/或時観世音/大悲法門説給」第7面の上方の中ほどに色紙形が置かれ、その左上と、右脇、左下とに菩薩集会が描かれている。すなわち左上には、左端に高い蓮台に座す菩薩形を描き(持蓮華か)、そこに集まる菩薩衆を描く。右は中心となる菩薩の姿は剥落で確認できないが、菩薩衆の集会が確認できる。左下はまた蓮台に坐す菩薩形のもとに集まる菩薩衆が描かれる。菩薩の右手は胸前で三鈷杵らしき持物を持つように見える。讃にいう金剛手菩薩であろう。左上を持蓮華の観音とすると、右には勢至菩薩が描かれたものと推測される。色紙形とよく一致する箇所である。続いて右下を見ると円相が表され、中央に菩薩が描かれている。これは初夜讃の「後には観音大悲主/三昧月輪現前し/衆生利益すること/海童比丘の如くせむ」との文言を示すと見られるが、観音から六方に放たれた光は、六道を照らす。上方から天(上)、人(右)、阿修羅(左)、畜生(下右)、餓鬼(下左)、地獄(下)となっている〔図6〕。六道の記述は『六時讃』にはないが、観音から伸びる光が六道を照らすのは、當麻曼荼羅や鎌倉時代の観経十六観変相図といった観無量寿経変相図にみられる表現であり、この図像は『六時讃』からではなく、こうした先行の図像から採用されたと考えられる。中夜は左側の扉の右端の1枚に表される。第9面の色紙形は以下の通り。①「我等無数百千劫/修四無量三解脱/令見大聖牟尼尊/猶如旨亀値浮木」(補説)②(不明)
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