鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 622 ―― 622 ―中夜讃では寂然とした深夜の極楽の情景が説かれ、そのさまは「閻浮の昔の日に似たり」といい、さらに「霊鷲法華会見ること在世の如くせむ」という。つまり、極楽の菩薩たちは、深夜に至って昔住んでいた閻浮提の霊鷲山で釈迦が説いた教え、『法華経』の教えが説かれるのや、釈迦の生涯を見ることができ、仏弟子である阿難と同様に釈迦に奉仕することもできるという。補説では阿弥陀に対面してその相好と荘厳、そして教えを称え、その帰途において、往昔のどんな因縁により仏に対面できたのかと喜び、帰りつくと宝樹や宝蓋のなかに釈迦が説いた様々な教えを見、教えに登場する様々な大士に親近することができ、時には釈迦の初転法輪や霊鷲山での説法の相をも見ることができるという。図様を見ると、ちょうどこの面の中央あたりに上下左右へ光を放つ阿弥陀の姿が正面向きに配されている。この阿弥陀は三尊で、四層からなる豪奢な壇の上に座り、そこには多数の菩薩が集っている。阿弥陀は両手を胸前に構えた説法印とみられる。この三尊の向かって右に色紙形がある。記されているのは、娑婆世界で釈迦に会うことが奇跡的であることを説く偈頌だが、ここに描かれているのは極楽浄土の阿弥陀三尊とみられ、画面は、阿弥陀に対面する奇跡を語る本文に対応して描かれていると思われる。光を放つ阿弥陀の姿は「無数の光明身より出て/十方国土に周遍せむ」あるいは「十方四方重々に/光明照らしかがやけり」といった中夜讃の内容に対応する。阿弥陀の上方には蓮池のある楼閣が正面向きに描かれている。池の左右には迦陵頻伽が立ち、周辺には鳥が遊ぶ。池に沿って建つ三棟の楼閣には、それぞれに如来を中心とした三尊が座り、左右の楼閣では菩薩たちが踊る。これは補説に説く「無数の天人賢聖衆/内外に宝座を連ねたり/あるいは伎楽歌詠し/或いは説法決択し」や「いさごの堤玉の橋/所々に衆鳥和鳴す/或は迦陵頻伽等/仏事を謡う処あり」という描写を意識したものであろう。この楼閣の背後には大きな宝樹が五本ほど伸びている。そしてそれぞれの宝樹の葉には幾つかの場面が描かれ、何らかの物語を表すようである。剥落もあって明らかでないが、左から二番目の宝樹には『観無量寿経』に説かれ、当麻曼荼羅などに絵画化される韋提希夫人の物語が表されているようである。下から順に幽閉される頻婆娑羅王、息子である阿闍世に斬りかかられる韋提希夫人、釈迦に助けを求める韋提希の三場面が、当麻曼荼羅に表されるのと近い構図で描かれているのが確認できる。左から三番目の樹木には善財童子が賢聖を訪ねるさまが描かれているようである〔図7〕。これは宝樹宝蓋のなかに釈迦の様々な教えを目の当たりにするという本文に対応する描写で、韋提希については記されていないが、善財童子は「善財大士の善知識」として記されている。韋提希の物語は『観無量寿経』に語られ

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