鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 623 ―― 623 ―〈後夜〉当麻曼荼羅中に絵画化されるなど、日本の浄土信仰とは関わりの深い物語であるから、釈迦在世時の娑婆でのストーリーとしてここに採用されたと考えられよう。これより上は剥落のため図様が確認できない。さて光を放つ阿弥陀の壇から下へ目を向けると、右側に樹木の間に光を放つ小さな楼閣があり、周辺を菩薩衆が歩いている。左側に色紙形があるが文字は不明。それらの下にはまた蓮池が広がる。さきに触れたような帰途の情景に重なる描写であろう。次に蓮池から下に目を移すと、まったく違う世界が広がっていることに気が付く。上と同様に建物が描かれるが、楼閣ではなく、人家である。右側は板塀に囲われた大きな邸宅で、母屋のほか仏堂らしき建物が建つ。母屋には誰もいないが庭には犬がうずくまっている。板塀の外には道端に小屋がいくつも建てられ、荷物を頭に乗せ歩く人、井戸端に立つ二人の人物などが見える。井戸の後ろにも塀があり、邸宅があるようである。ここに描かれているのは何らかの具体的な説話的イメージというより、都市の日常の風景と見える。そしてこの人間世界にも極楽の阿弥陀が放った光が到達している〔図8〕。一筋は邸宅のなかの仏堂らしき建物へ、もう一筋は剥落で確認が難しいが、道の傍らへ射している。あるいは貧しい者に光が射しているのだろうか。阿弥陀の光明が十方や四方に放たれることは『六時讃』に語られるが、このように人間世界に阿弥陀の光が到達することは具体的には説かれていない。この描写の位置付けについてはあとで改めて確認することにしたい。後夜は向かって左の扉の中央の1枚に描かれている(第10面)。色紙形の讃は以下の通り。①「暁到波音/金序寄程/欲曙風音/珠簾過際」②「念仏一力/此等事成/万事抛捨/弥陀念奉」暁の近づく頃、波は黄金の岸に寄せ、珠簾は風に揺れる。この時間には仏法僧を念ずるべきという。そして、最後の章でもある後夜讃では、六時の行はいま述べられてきたとおりであり、縁があればこのように過ごし、さらには娑婆にも戻り、釈迦の遺法を興隆させ、苦を受ける衆生を助けるなどし、ついには浄土に引接しようという。続いて「国土豊かに民あつく/仏法さらに盛りにて/楽しき事をうたひ言/安穏無垢の界ならむ/乃至弥勒樓至まで/出世に必ず知遇せむ/念仏一つのちからにて/是等の事を成ずべし/萬の事をなげうちて/弥陀をねんじ奉らむ」とし、極楽のみなら

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