鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 624 ―― 624 ―ず、人間の生きる娑婆世界を肯定的にとらえ、念仏の力を讃えて終わる。上から順にみると、まず色紙形に後夜讃冒頭の語句(①)が記され、宝樹が伸び、楼閣が並び、それぞれの楼閣に菩薩がいる。建物の外には菩薩はおらず、蓮池のそばには鳥が遊ぶ。洲浜のある蓮池の下で場面が切り替わり、右側に後夜讃の最後の語句を記した色紙形(②)があり、その横には飛天が立つ。目をおろすと左側に大きな敷地を持つ鐘楼のある寺院伽藍が表され、寺院の外では僧らしき人物がもう一人の人物に教えを説くようである〔図9〕。右側の人家ではやはり僧らしき人物が教えを説き、外には説法を聴聞しようと集まる人々が表されている。これは『六時讃』に、極楽から娑婆に戻り、衆生を助けようとあるのに対応する描写であろう。霞で隔てられたさらに下の部分をみると、また異なる人の暮らしが描かれている。茅葺の家屋が並び、道で話しあう人、牛をひいて畑を耕す人、田植え(あるいは漁か)をする人、子供を連れ出かける人、犬などが描かれ、村落の穏やかな日常の風景が表されている〔図10〕。こうした下方の人間世界の描写のうち、伽藍を含む上方部分は、後夜讃終わりに、娑婆に戻り「釈迦の遺法紹隆し/(中略)/堂塔尊像修治して/(中略)/在々所々に尋ねつつ/護り教へ利益せむ」といった描写に対応し、鄙びた村落の日常を描く下方部分は、「国土豊かに民あつく/仏法さらに盛りにて/楽しき事をうたひ言/安穏無垢の界ならむ」という箇所に対応するといえるだろう。4 図像の特徴以上、図像の記述に紙幅を費やした。表現様式の検討、他作例との比較など、本作の全貌を位置付けるまでには達しないが、簡単に図像の特徴をまとめ、本稿を終えることにしたい。まずテクストと図像の関係については、色紙形に引用されていない部分も含め、ここに表される図像は基本的に『極楽六時讃』を典拠とすることが確認できた。ただし色紙形とその近くに描かれた図様がよく一致している場合と直接は関連してない場合とがあった。また『観無量寿経』に説かれ、図像化もなされている、樹下の阿弥陀三尊や、六道を照らす光を放つ観音菩薩など、『六時讃』には説かれないが、その他の典拠によって他の作例に認められる図像の採用が確認できた。本図同様『六時讃』をひとつの典拠とする作例である京都・清凉寺蔵の阿弥陀浄土図と比較すると、同場面を絵画化する箇所は認められるものの表現は異なり、絵画化

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