鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
637/688

注⑴拙稿「奈良国立博物館所蔵阿弥陀浄土図の図様と表現」『鹿園雜集』第9号、奈良国立博物館、2007年3月。拙稿「京都清凉寺所蔵阿弥陀浄土図について─ 源信を典拠とする図像の紹介を中心に」『鹿園雜集』第12号、奈良国立博物館、2012年3月。― 625 ―― 625 ―する場面の共通自体もそう多くはないといえる。『六時讃』を典拠とした阿弥陀浄土表現の広がりが分かる。また、極楽浄土の一日を美麗に謳い描いたうえで、中夜・後夜で、人間世界の日常の暮らしを、俯瞰の視点で細やかに描いていることは本作の大きな特徴といえる。こうした図像は阿弥陀浄土図としては極めて稀であることのみならず、絵画表現が効果的に行われている点は特筆に値する。まず、極楽浄土が描き続けられてきた同じ画面に、楼閣と菩薩に代えて人家と人を描き、対比的に示すという画面構成。さらに、中夜を描く第9面では都市の風景、後夜を描く第10面では村落の風景を、どちらも各面の最下方に配置し、左右に都鄙を対比的に表す点。こうした世俗の風景を浄土に連ねて表すところに、製作者の人間世界に対する客観的認識までもが示されていると考えられよう。念仏を唱え極楽浄土を奉ずることは、穢土として人間世界を憎むことでなく、国家の隆盛とも通じるとする『六時讃』に説かれる考えのもとで、人間世界はあり得べき理想的姿として描かれているのである。本作に特徴的な図像の検討や、他作例の図像との比較等、図像についてもさらに論じるべき問題が多いが、ここではまずは報告を行い、今後引き続き研究を続けることにしたい。⑵平田寛「新長谷寺の阿弥陀如来厨子扉絵」『美術史』74号、1969年9月(同『絵仏師の作品』中央公論美術出版、1997年1月所収)。⑶『極楽六時讃』を典拠とする造形については注⑴、⑵の論文を参照。鳥羽院周辺では、保延2年(1136)供養の鳥羽院発願の勝光明院阿弥陀堂四面廂に設置された諸像(「同堂供養願文」『本朝続文粋』第12)、鳥羽院の皇后である美福門院(1117~60)が描かせた「六時讃絵」(『長秋詠藻』)が『極楽六時讃』を典拠とする造形として確認できる。⑷『日本仏教全書』第1巻。⑸多屋頼俊『和讃史概説』法蔵館、1933年5月(『和讃史概説 多屋頼俊著作集』第1巻、法蔵館、1992年3月所収)。法然の弟子である真瑞の『明義進行集』によれば、遊蓮房という僧は外を歩く際は極楽の曼荼羅を首に掛け、宿などでは西側に掛けてこれを拝み、『極楽六時讃』を覚え誦したという。また時宗では『極楽六時讃』を含む源信作とされる和讃が一遍の誦した和讃を収録する『浄業和讃』に含まれている。⑹本稿では紙幅の都合で各面の全図を掲載することが出来ない。全図カラー画像については、特別展図録『源信 地獄・極楽への扉』(奈良国立博物館、2017年7月)176~178頁を参照いただきたい。

元のページ  ../index.html#637

このブックを見る