鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 643 ―― 643 ―三期に公家が注文・所有した時祷書の調査研究を重ねているが、今回は1431年から32年にかけて主要な彩飾が施されたことを報告者が指摘している『マルグリット・ドルレアンの時祷書』(フランス国立図書館ラテン語1156B番)の風景表象と、15世紀末から16世紀初頭にかけてアンヌ・ド・ブルターニュが注文・所持した時祷書の調査を行った。『マルグリット・ドルレアンの時祷書』については既に多くの先行研究が重ねられているが、その豊かで独創的な彩飾ゆえに、多くの図像・装飾の機能や意味が未解明のままにある。報告者は、20年近くこの写本をブルターニュ写本群の一環として研究し、画期的な成果を国内外で発表してきたが、今回は『驚異の書』(フランス国立図書館フランス語1377-1379番)の風景表象が『マルグリット・ドルレアンの時祷書』の中の「異界の表象」に与えている影響と、その具体的な機能を調査し、それらの一部が写本所有主の祈念を具現化するために、聖地の表象として用いられていることを確認した。今後、日本美術における聖地の図像と比較検討することで、各文化圏に認められる祈念表象の構造を明らかにし、典拠の多様さゆえに複雑な生成経緯を示すフランス中世末期の図像をより良く理解するための新たな手立てを得ることを目指している。成果の一部は、2020年1月31日に関西大学東西学術研究所で開催される風景表象研究班(主幹:蜷川順子)の研究例会で発表予定。いっぽうアンヌ・ド・ブルターニュが所有した複数の時祷書のうち、最も豪華な作例として知られている『アンヌ・ド・ブルターニュの大時祷書』(フランス国立図書館ラテン語9474番)に関しても、既に多くの先行研究があるが、その制作年については諸説あり、制作経緯についても未解明のままにある。報告者はアンヌの戴冠が行われ、彼女の娘であるクロードとシャルル・ド・リュクサンブールの結婚が「承認」された1504年が、この写本制作の契機となったことを確認している。かかる成果を踏まえれば、アンヌが注文・所有した他の時祷書の制作年や祈念表象の(再)検討が必要であることを認めざるを得なかったため、今回の調査では、それらがアンヌからクロードを経て、後者の夫となる後のフランソワ1世の手に渡るまでの経緯や、アンヌの再婚相手であるルイ12世とフランソワの父であるシャルル・ダングレームの時祷書との比較をおこなった。その成果については段階的に発表してゆく予定であるが、未だ多くの課題が残されているため、今後はフランス王家が注文・所持した写本に精通している研究者に協力を求めながら有益な成果につなげたい。

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