― 648 ―― 648 ―発表の概要は以下の通りである:ポール・セザンヌ(1839-1906)が絵画を制作するのに最も多くの時を過ごしたのは、フランス南部、プロヴァンス地方の観光都市エクス市内から西へ約2キロの地点に位置するジャズにあるセザンヌ家の邸宅であった。帽子製造業で財を成し、それを元手に銀行家としてさらに富を増やし続けた父ルイ・オーギュスト・セザンヌ(1798-1886)は、社会的成功の証として、1859年、セザンヌが20歳の時、ジャズに14ヘクタール97エーカーの広大な敷地を8万5千フランの高値で購入した。敷地内には18世紀に建てられた邸宅のほか、水槽、温室、農場が含まれ、現在も残っている。当時、父親の命令でエクスの法科大学に通いながらも画家になることを夢見ていたセザンヌは、敷地内にある別荘の屋根裏部屋に初めてのアトリエを構えた。1861年4月(22歳)、父親を説得し、画家になることを目指して初めてパリに出たものの、都会の環境になじめずいったん帰郷。再び意を決して1862年11月にパリに上り、パリを拠点にしつつフランスの首都圏にあたるイル=ド=フランス地方各地に滞在しながら住居を転々と変える一種の放浪生活を続けた。そうした生活のなかでも頻繁にエクスに帰省しては、以前同様、邸宅のアトリエで制作した。1886年(47歳)、父親が亡くなって莫大な遺産を相続するとエクスに腰を落ち着け、父親の目から長年隠し続けた妻オルタンス(1850-1922)や息子ポール(1872-1947)を呼び寄せて生活を始めた。以後13年間、邸宅内のアトリエが本格的な制作の拠点となった。母親が亡くなった2年後の1899年(60歳)、2人の妹との間で遺産相続をするため、セザンヌ家が40年間所有し、セザンヌが40年間アトリエを構えたジャズの邸宅と敷地を売却し、エクス市内、ブールゴン街23番地にアパートを借り、その屋根裏部屋にアトリエを構えた。けれども手狭であったため、1902年(63歳)にはエクスの郊外へと向かうローヴ街道に土地を買って、2階建てのアトリエ専用の建物を建設し、67歳で亡くなる1906年まで制作に励んだ。こうしてジャズは、セザンヌが67年の生涯で、青年期から老年期までの40年間、最も長く生活して慣れ親しみ、彼の原風景となった<場所>であり、邸宅内のアトリエ、邸宅、敷地内から見える風景、敷地内に出入りする人々、近郊の風景は、制作の豊かな源泉となった。本発表では、3つの例(《ミューズの接吻》(1859-1860年、グラネ美術館蔵)、《温室のセザンヌ夫人》(1891-1892年、メトロポリタン美術館蔵)、《カルタ遊びをする人々》(1891-1892年、メトロポリタン美術館蔵)を取りあげながら、セザンヌがジャズという具体的<場所>で制作したその時々の様々な感情(不安、葛藤、欲望、夢想、
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