鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 649 ―― 649 ―愛情、共感など)が作品に込められていること、しかし、それらがセザンヌの手元を離れてコレクターの住居や美術館に納められ時間が経過するなかで、そうした親密な感情が忘れ去られていったことを指摘した。《ミューズの接吻》(フェリックス・ニコラ・フリリエ(1821-1863)の模写)では、屋根裏部屋でひとり詩作に疲れ切ってひと時の眠りに耽る詩人に詩神(ミューズ)が現れて額に接吻する。夢に現れた女神はこうして詩作に苦闘する詩人に霊感を授ける。頬杖をつき、物思いにふけるこの仕草はメランコリーと想像力の伝統的図像である。当時のセザンヌの置かれた状況を考えると、この絵に自らの心境を投影した可能性が指摘できる。というのも、友人のエミール・ゾラへ宛てた1858年12月7日の手紙の中で、当時、父親から法学を学ぶことを強要されて苦悩していたセザンヌを芸術の女神達がやって来て救済してくれることを切望する詩を書いており、油彩画の図像と有機的な連関を示している。屋根裏部屋という場面もまさに、セザンヌのジャズのアトリエと重なり合う。従って、絵の中で夢想する詩人はセザンヌの分身だと解釈できる。《温室のセザンヌ夫人》は、ジャズの邸宅敷地内にある温室で描かれた作品である。モダニズムの言説では、セザンヌはモデルの性格や感情を一切消去して、造形的探求の道具として扱ったと解釈してきた。しかし、《赤ん坊に乳をやる女》(1872年頃、個人蔵)、《裁縫をするオルタンス》(1877年頃、ストックホルム国立美術館蔵)には、母性や家族、家庭といった最も親密な世界が表象されており、水彩画の《紫陽花とセザンヌ夫人》では、まどろむオルタンスが紫陽花の花を添えて描かれている。オルタンス(Hortense)を紫陽花(フランス語でhortensia)になぞらえて、瑞々しい美しさを引き立てながら若々しい表情を描き留め、オルタンスへの愛情が率直に表現されている。本作の描かれた温室は、水槽を挟み、邸宅から離れて建ち、屋根裏のアトリエと同様、家族の雑音を避けてオルタンスと、画家とモデルの純粋な対話関係を築ける空間だった。また、温室の中に育つ花や草木の中に夫人を座らせることで婦人像に華やぎと生動感を与えている。従って、本作も夫人との極めて親密な心理交換の末に生まれた愛情溢れる作品だと解釈できる。肖像画を描く際に、セザンヌは、偉人、英雄は言うまでもなく、名士、政治家、ブルジョワには一切関心を示さなかった。地位、名誉、権威、権力、経済力とは無縁な世界に生きる無名の土地の人々こそ、気軽にモデルを頼み、純粋に自らの造形的関心に取り組める存在であった。実際、1890年代以降、農夫や職人などの肖像画が多産されていく。《カルタ遊びをする人々》では、ジャズの敷地内の農場に出入りしていた農夫達がモデルとなった。ジャズの敷地の左隣にあった農家の一室で《カルタ遊びを

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