― 652 ―― 652 ―における西洋文化の受容と変容について自身の代わりに映像に語らせた。Salomé Voegelinのスピーチ「Sonic Materialism: A Philosophy of Digging and Gardening」は聴衆全員を立ち上がらせ、さまざまな行為をうながした。こうしたスピーチも今回のテーマの特色だろう。サウンド・アートにとってスピーチは重要な表現形式のひとつだからである。会議の最後を締めくくったChristoph Coxのスピーチ「The politics of sound:Flows, code, and capture」では、音の流通と政治の関わりをめぐるさまざまな時代の事例や現代の芸術作品が論じられた─古くはラテン語の伝播から、デジタル音声データの通信まで。音の流れを政治的な力が身体的、記号的、電子的に把捉しようとするという彼の議論の基本的構図は、ジャック・アタリ『ノイズ』(1977)のサイバネティックな音楽論の展開を思わせた。先に述べたとおり研究発表は細分化されており、全体の動向が把握しにくかったため、報告者が加わったアーカイヴをめぐる議論の動向を主に記したい。メディア・アート研究においてすでに定番となったアルケオロジーとアーカイヴは、過去の芸術における音をテーマとする今回のMedia Art Historyでも主要な論点だった。メディア・アートにおけるアーカイヴ、作品の保存修復については日本でも近年さかんに議論されている。しかし、録音を大規模に保存する公的なアート・アーカイヴというものは、世界的にもほとんどないだろう。それにはおそらく主に制度的ないくつかの理由がある。例えば、美術においても映像においても視覚資料が中心的であるといった。そのため、今回のMedia Art Historyにおけるアーカイヴをめぐる議論は、芸術における音のアーカイヴとはそもそもいかなるものか、それはなぜ必要なのかという根本的な問いを背景として展開された。研究発表募集でアーカイヴをめぐるセッションの仮タイトルとしてあげられていたのは「The Post-institutional Archive / Experience」と「Archive Leakages」だった。これらは芸術における音の多くが現在の公的なアーカイヴの外にあるという認識にもとづくと考えられる。報告者が発表をした「Session 8.5」にも「Non-institutional Archive」という仮タイトルがあった。例えば、報告者と同じセッションで発表をしたMartina Raponiは、彼女らがアムステルダムで開催しているノイズ・ミュージックをめぐるリサーチ・グループ「Noiserr」の活動について報告し、ノイズを語るための概念をまず共有することの重要性を語った。アーカイヴの必要性をめぐる認識論をタイトルにしたセッションもあった。さらにヴィデオ・アートやヴィデオ・ゲームといった隣接領域のアーカイヴの事例なども紹介され、アーカイヴのための理論的、制度的、技術的
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