― 56 ―― 56 ―⑥ 「彦火々出見尊絵巻」と「八幡縁起絵巻」の関係について研 究 者:大阪大谷大学 文学部 専任講師 苫 名 悠はじめに「彦火々出見尊絵巻」は、皇祖神・彦火々出見尊が龍王に与えられた潮満の珠と潮干の珠の呪力によって兄の尊を屈服させ、また龍王の娘を妻として皇子・鵜羽葺不合尊を儲けるという、『日本書紀』に淵源を有する物語を描いた絵巻である。後白河院政期に制作されたと目されるその原本は現存せず、近世以降に制作された複数の模本が現在に伝わっている(注1)。一方、「八幡縁起絵巻」は、神功皇后による三韓征伐、応神天皇の誕生、八幡神の示現譚と各地への勧請などを描いた絵巻である。こちらもその原本は遺されていないが、元亨2年(1322)制作の出光美術館本をはじめとして、数多くの作例が現存する(注2)。本研究は、「彦火々出見尊絵巻」と「八幡縁起絵巻」との関係を、主に絵画表現の比較により明らかにすることを目的として行ったものである。本研究を着想するに至った背景には、まず、両絵巻の物語において干満二珠によって敵を倒す、鵜羽根葺の産屋において皇子を出産するなど、明らかに類似するエピソードが見られることへの関心があった(注3)。また、「八幡縁起絵巻」には、新羅に出兵する神功皇后を助け数々の霊威を見せる住吉明神が描かれるが、筆者は以前別稿において、「彦火々出見尊絵巻」に描かれた海辺の場景に住吉の景のイメージが重ねられている蓋然性が高いことを指摘した(注4)。すなわち、表れ方の違いこそあれ、両絵巻の制作の背景に住吉信仰が存在したと想定される点でも、両絵巻の間には親近性が認められると考えたのである。これらのことから、両絵巻の間に絵画表現の面でも類似性や継承関係が見出されることを期待し、本研究に着手した次第である。そのため本研究では、「彦火々出見尊絵巻」と「八幡縁起絵巻」諸本を主に図像の面で比較することを試みたが、結論からいうと、両絵巻の絵画について、当初期待されたような有意な類似性や継承関係などを見出すことはできなかった。そこで本報告論文では、第1章で両絵巻の絵画表現の比較の結果、両者に有意な類似性や継承関係が認められなかったことを述べ、第2章ではその理由について考察したところを述べる。第3章では前章までの論を承けて、「八幡縁起絵巻」の画面が「彦火々出見尊絵巻」以外のどのような先行作例を参照して構成されたのかということについて、若干の私見を述べる。なお、第3章では「八幡縁起絵巻」諸本の中でも特に、先行する絵巻を参照しやすい環境下で制作されたと目される「神功皇后縁起絵巻」を
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