取り上げることとする。1.「彦火々出見尊絵巻」と「八幡縁起絵巻」の比較まず「彦火々出見尊絵巻」と「八幡縁起絵巻」の絵画表現を図像の面から比較する。なお、「八幡縁起絵巻」には多数の作例があるが、ここでは宮次男氏の甲乙分類に従い、甲類と乙類に分けて比較を行う(注5)。取り上げる場面は、類似するエピソードを描いた下記の各二場面である。(1) 「彦火々出見尊絵巻」… 彦火々出見尊が干満二珠によって兄の尊への復讐を果「八幡縁起絵巻」甲類・乙類… 神功皇后軍が干満二珠によって敵軍を壊滅させ(2) 「彦火々出見尊絵巻」… 龍王の娘が鵜羽根葺の産屋で鵜羽葺不合尊を出産する「八幡縁起絵巻」甲類・乙類… 神功皇后が鵜羽根葺の産屋で応神天皇を出産すなお、以下の比較を行うに当たって取り上げる作例は、「彦火々出見尊絵巻」は17世紀前半に原本を写したと目される明通寺本(注6)、「八幡縁起絵巻」甲類は奥書により康応元年(1389)の制作と知られるサンフランシスコアジア美術館本、「八幡縁起絵巻」乙類は永享5年(1433)に足利義教によって誉田八幡宮に奉納された「神功皇后縁起絵巻」である。まず、(1)から見てみよう。「彦火々出見尊絵巻」の当該場面では、彦火々出見尊は2度にわたって潮満珠を振るい、押し寄せた潮水によって兄の尊を溺れさせる。1度目は、兄の尊が頭と両手を右上方に出して潮水から逃れようとする様が描かれ〔図1〕、2度目は、兄の尊が顔面と両手足先のみを渦巻く水の外に出してもがく様が描かれる〔図2〕。「八幡縁起絵巻」甲類の当該場面では、軍船に乗った神功皇后が潮満珠を左手に捧げ、それによって敵軍に向かい潮水が押し寄せる様が描かれる〔図3〕。画中で直接的に潮水の被害を受けていると見られる敵軍の兵士は3人描かれる。うち2人は神功皇后の乗る軍船から逃げるように左方へと向かう姿態を見せ、もう1人はその2人の下方にうつ伏せに倒れており、頭部と弓を持った左手のみを見せ、首より下は潮水に飲まれている。「彦火々出見尊絵巻」の当該場面との間に類似する姿態は見出せない。たす場面る場面場面る場面― 57 ―― 57 ―
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