― 58 ―― 58 ―「八幡縁起絵巻」乙類の当該場面では、軍船の物見櫓に上った高良明神が潮干珠を右手に持ち海に投げ入れようとするところ、続いて潮干珠によって海が干上がったため、敵軍の兵士が下船して戦おうとするところ、そして今度は高良明神が潮満珠を投げたために潮水が押し寄せ、敵軍の兵士が皆溺れているところが長尺の画面に連続して描かれる。ここでは多くの兵士が様々な姿態でもがく様が活写されており、中には頭と両手を上方に差し伸べる、「彦火々出見尊絵巻」の兄の尊と近しい姿態の者も見られる〔図4〕。ただ、頭と手の位置関係がそれぞれに異なり、両者の間に引用関係があるとは思われない。むしろ乙類の当該場面の表現には、他の絵巻や仏教説話画における海難場面との関係を想定するほうが適切だろう。次に、(2)を見てみよう。「彦火々出見尊絵巻」の当該場面では、龍王の娘が出産のために龍宮から地上に向かい、地上に設けられた鵜羽根葺の産屋で出産するに至る情景が長尺の連続した画面に描かれる。産屋は、軒先の一部のみ鵜羽根葺の屋根が描かれ、それ以外は所謂吹抜屋台で室内の様子が露わに描かれる〔図5〕。龍王の娘に仕える女官や官人たちは中国風の装束で描かれる。「八幡縁起絵巻」甲類の当該場面では、鵜羽根葺の簡素な産屋と、神功皇后が出産の際に取り付いたとされる槐の木のみが描かれる〔図6〕。室内の様子は描かれない。「彦火々出見尊絵巻」との図像面での類似点は見出されない。「八幡縁起絵巻」乙類の当該場面では、冒頭に鵜羽根葺の産屋が描かれ、その周囲には和装の女官と官人たちが配される〔図7〕。左方には筑前国の海辺の景が続き、海を挟んでさらに左には、皇子(応神天皇)を抱いた武内宿祢が到着したという紀伊国の湊の景が描かれる。産屋の屋根は、その中ほどを霞に遮られるものの、鵜羽根葺が全体を覆っている様が表され、室内の様子は描かれない。海景を含む長尺の場面である点は「彦火々出見尊絵巻」と共通するものの、産屋の描写形式、人物の装束や姿態などは大きく異なり、両者の間に関係性は認められない。以上、(1)(2)の場面を比較したが、これらの類似するエピソードを描いた場面同士であっても、「彦火々出見尊絵巻」と「八幡縁起絵巻」甲・乙類との間には図像面での類似が見られなかった。なお、他の場面から強いて挙げるならば、「彦火々出見尊絵巻」で兄の尊の家の近くに度々描かれる大岩と、「八幡縁起絵巻」で葦屋の津にて老翁(住吉神の化身)が射通す大岩は、その屈曲しつつ上に伸びる姿態や緑青による彩色に親近性を認めることができるが、その形状が一致するわけではない。
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