― 61 ―― 61 ―伏し拝む官人たちの姿態は、明らかに本場面の官人たちの姿態と類似する。特に、画面下部で女を伏し拝む3人の官人たちとその奥に立つ閻魔王の姿態は、本場面において最前列で神功皇后を伏し拝む3人の官人たちとそのすぐ奥で腰をかがめて笏を執る官人の姿態に近い。また、東京国立博物館本「不動利益縁起絵巻」(14世紀)第3段、不動明王が僧・証空の身代わりとなって閻魔王庁に引き出される場面を見ると、クリーブランド美術館本当該場面と同様に、伏し拝む3人組の官人たちと、腰をかがめて立つ閻魔王(笏は執らない)の姿が認められる〔図10〕。彼らの姿態も本場面の官人たちの姿態に良く似ている。これらの事例を見ると、本場面の絵画の様式は15世紀前半における中央画壇のやまと絵様式に則しているものの、その図像は閻魔王庁からの蘇生譚を描いた先行する絵巻の図像に拠っていることがわかる。異国の宮殿と、伏し拝む姿態の異国の官人たちを描くに当たって、上記の図像が参照されたのであろう。下巻第4段 鍛冶をする翁が童子の姿で示現する場面本場面には、大神比義という者が豊前国宇佐郡蓮台寺山の麓で鍛冶をする異相の老翁に3年間給仕し、その後に真の姿を現すよう老翁に祈請したところ、老翁がたちまちに3歳の小児となって竹葉上に乗り、自身が応神天皇であることを告げたという示現譚が表される。画面冒頭には深山の景観が描かれ、続いて柴を担いで山を下る4人の男が描かれる。岩山を挟んで左側には、東屋の中で炉に向かって鍛冶をする老翁と、老翁に対面して跪く比義の姿が、そしてその左方には竹葉上に乗って合掌する小児姿の八幡神と、御幣を持って祈る比義が描かれている〔図11〕。本場面の絵画について、神山氏は本作品と同時に誉田八幡宮に奉納された「誉田宗廟縁起絵巻」の上巻第3段と同一の構図、すなわち画面中央の岩山を挟んで、右手には資材あるいは柴を運ぶ人夫が、左手にはその場面の主たる出来事が描かれるという構図が用いられていると指摘する(注11)。また、田中水萌氏は、本作品やその他複数の「八幡縁起絵巻」の当該場面における八幡神の姿が、「聖徳太子絵伝」中に描かれる所謂「南無仏太子像」に酷似することを指摘する(注12)。上述の先学による指摘に加えて筆者が指摘したいのは、本場面の図像と法華経絵の図像との親近性である。『法華経』「提婆達多品」では、過去世における釈迦が阿私仙に給仕して真実の教えを授かったこと、そしてこの阿私仙が今の提婆達多であることが明かされ、提婆達多のごとき悪人であっても成仏に至ることが説かれる。この著名
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