鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 62 ―― 62 ―なエピソードは古来頻繁に絵画化され、現存遺品も枚挙に暇がないが、ここでは一例として奈良国立博物館所蔵「紺紙金字法華経」(12~13世紀)巻5の見返し絵を挙げる。画面上部には霊鷲山、中央には教えを説く釈迦とそれを聴く諸菩薩、右下には宝珠を捧げる龍女が描かれ、左下に上述のエピソードが表される。すなわち、山中の洞窟内に坐して巻子を広げて読む阿私仙とこれに対座する過去世の釈迦が描かれ、その右上には柴を担いで下山してきたと思われる過去世の釈迦が描かれるのである〔図12〕。ここで注目すべきは、本場面と「紺紙金字法華経」巻5見返し絵において、柴を担いで下山する人物と、洞窟ないし東屋内の翁とこれに対面して給仕する人物というモチーフの組み合わせが共通することである。これらは、先に取り上げた本作品下巻第1段と閻魔王庁からの蘇生譚の絵画におけるモチーフのように相似するわけではなく、直接の関係があるわけではないだろう。ただ、山中で老翁に給仕するという本場面の図像的淵源として、このような法華経絵の図像を想定しても良いと思われるのである。以上、僅少な挙例によるものの、室町時代の正系のやまと絵様式を基調とする本作品において、部分的に仏教主題の絵画に由来する図像が用いられていると考えられることを述べてきた。絵画様式の分析により、本作品を手掛けたのは粟田口隆光及びその工房の絵師たちであったとする説が有力視されているが(注13)、隆光をはじめとする当時の粟田口派の絵師たちは、清凉寺本「融通念仏縁起絵巻」のようなオーソドックスなやまと絵を手掛けつつ、天台系の仏教絵画制作にも深く携わっていたことが明らかにされている(注14)。上述のような本作品の制作手法は、粟田口派によるやまと絵の画面構成の手法を端的に示すものであるといえよう。むすび以上、「彦火々出見尊絵巻」と「八幡縁起絵巻」諸本との間に絵画としての有意な関係性は認められなかったことと、その想定される理由を述べ、その上で「八幡縁起絵巻」乙類の「神功皇后縁起絵巻」で用いられる図像の源泉について、現段階で考察したところを述べてきた。「神功皇后縁起絵巻」の図像についての論は断片的な記述に留まってしまったが、本作品の図像がどのような先行作例に基づくのか、引き続き調査を進めることにより、「八幡縁起絵巻」の図様形成の過程の一端を明らかにすることができるだろう。

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