― 67 ―― 67 ―⑦ 江戸狩野派による倣古図の基礎的研究─データベースの構築と分析手法の確立に向けて─ 研 究 者:静岡県立美術館 学芸員 野 田 麻 美1 〈倣古図〉研究の意義と現状近年、筆者は江戸狩野派の〈倣古図〉研究に取り組んでおり、〈倣古図〉というジャンルがいかにして確立し、展開したのかという問題を考察してきた。倣古図は、古典的巨匠、規範となる作品に倣って描かれた絵画で、日本においては、狩野探幽周辺でその様式が成立し、展開した。典拠となる画家名を画中に記し、その画風に基づくことを表明する形式を用いるため、倣古図は、画風の正統性や筆者のアイデンティティーの拠所を主張する特徴を有しており、探幽は、古典名画の模本や直模作品制作の経験を活かし、自らの画風を古典様式に連なるものとして提示する倣古図様式を完成させた(注1)。探幽周辺の画家は、探幽が描いた倣古図の図様を整理し、その普及に努めたため、倣古図の図様は江戸狩野派の絵手本として取り入れられ、彼らの作画活動の根幹に組み込まれた(注2)。江戸時代後期になると、狩野栄信と狩野養信が倣古図の新様式を確立した。彼らは、倣古図の制作を通じて、古典名画の諸様式の史的展開を、具体的な作品に即して理解し、体系的に整理することを試みた。その成果が流派内で共有されたことで、探幽以降、定型化された和漢の規範的図様は再編された(注3)。栄信、養信の倣古図の図様は、狩野芳崖らによって幕末に盛んに写され、倣古図をはじめとする栄信、養信による古典学習の成果は、岡倉天心やアーネスト・フェノロサの中・日の古典理解にも影響を与えた(注4)。この点を勘案すると、江戸狩野派の倣古図様式の史的展開に関する考察は、江戸狩野派研究の枠組みを超え、近代の日本画や美術史学の成立にも新たな問題を提起するものと言えよう。以上のように、江戸狩野派の〈倣古図〉は、大きな研究テーマとなる可能性を秘めているが、現在まで、その研究は本格的に進んでいない。かかる状況に鑑み、筆者は江戸狩野派の〈倣古図〉研究の基盤作りのため、データベースの構築を試みている。データベースには、江戸狩野派の倣古図、関連のある雑画帖、模本などの図様を入力しており、筆者はこれを活用し、それらの関係性や、江戸時代前期・中期・後期における倣古図の図様の変遷を分析してきた(注5)。また、典拠の画家名と図様の関係を分析することで、古典的図様・画家に対する江戸狩野派の理解がどのように変化したのかといった問題を考察してきた(注6)。このデータベースは、江戸狩野派の〈倣古図〉研究の基盤を確立するうえで、大きな役割を果たすものと考えられよう。
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