鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 78 ―― 78 ―⑧ 憂鬱なるヘラクレス─ルドヴィコ・カラッチの暖炉上絵画と16世紀ボローニャにおける職人の姿─研 究 者:東京藝術大学 美術学部 教育研究助手  山 本   樹ルドヴィコ・カラッチの「忘れられた傑作」─《ヘラクレスとヒュドラ》《ヘラクレスとヒュドラ》は、16-17世紀ボローニャの画家ルドヴィコ・カラッチが、叔父カルロ・カラッチの邸宅の暖炉上に描いた作品である〔図1〕(注1)。作品は当初、壁面にフレスコで描かれたが、18世紀初頭に取り外され、近隣のグラッシ邸に移動された。その後1838-39年頃にカンヴァスへと移し替えられたのち、グラッシ家の他の美術コレクションと共に1844年に競売にかけられた。そして最終的に1863年、イギリスの外交官第2代グランヴィル伯爵によってロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に寄贈され、現在は別館ブライス・ハウスに所蔵されている(注2)。収蔵庫にて保管され、一般には公開されていないが、このほど美術館の協力を得て現地調査が実現した(注3)。縦は2メートルを超える大作である。暖炉上に設置されていたことから、保存状態は良好とは言えない。全体に渡って顔料の剥落が認められ、特に画面上部が著しく黒ずんでおり、おそらく本来の色彩は失われている。しかしカウフマンが発見した「1594」の年記は、左下部に確認できた(注4)。作品は、岩場に腰掛けるヘラクレスを中央に大きく据えた構図となっている。草の生い茂る地面には、沼地の怪物ヒュドラがすでに討ち取られて横たわっている。ヘラクレスはその亡骸を左脚で踏みしだき、頬杖をついて遠くを見つめている。右手には松明が握られ、煌々と火が燃えている。その背後には黄昏の空が画面の半分を占めて大きく広がり、遠くに並ぶ木々の影を浮かび上がらせている。カラッチは16世紀後期ボローニャで頭角を現した画家一族で、ローマのファルネーゼ宮の装飾など、17世紀美術の主流を成す力強い古典主義の潮流を準備したことで広く知られている。ファーヴァ宮(1584年)やマニャーニ宮(1591-92年)の居室装飾が、ボローニャにおける一族の共同制作として高く評価されてきた一方で、今日この数奇な来歴を持つロンドンの作品にまなざしを向けるものはほとんどない。1937年に美術史家オットー・クルツが「ルドヴィコ・カラッチの忘れられた傑作」として本作を紹介したが、それ以降本格的な調査は行われてこなかった(注5)。伝記作者マルヴァジアは、ルドヴィコが叔父のために「敬意をこめて(per cortesia)」本作を描いたと伝える(注6)。ヘラクレスとヒュドラの主題を通じて、画家が表そうとしたこ

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