― 79 ―― 79 ―とは何だったのだろうか。本報告では造形性と制作背景の分析に基づき、本作に対して一つの解釈を提示する。ヘラクレスとヒュドラ─イコノグラフィの再考怪物ヒュドラ退治はヘラクレスの十二功業の一つとして知られ、ルネサンス、バロック期に比較的多くの造形作例が見られる。めぐまれた体躯を以て苦難を退けるヘラクレスは剛毅(fortitude)の美徳と結びつき、世俗君主にも好まれてきた〔図2〕(注7)。しかしこうした作品と比較すると、ルドヴィコのヘラクレスはすでに戦闘が終わった状況で、頬杖をつき、何か考えをめぐらすように遠くを見つめていることを一つの特徴とする。これは、世俗君主の権力を称揚する意味合いを持つ図像とは明らかに異なる。ヘラクレスが座り込む図像は、英雄が美徳と悪徳の間で迷ういわゆる「分かれ道のヘラクレス」のテーマにしばしば見られるが、筆者の調査の限り、ヒュドラ退治の主題にこのような座って思考するヘラクレスを組み合わせた作例はほとんどない。ルドヴィコのヘラクレスは何を考え込んでいるのだろうか。剛健たる肉体の持ち主であるヘラクレスだが、実は古くはそれ以上に高い知性の持ち主であると考えられていた。ルキアノスはヘラクレスをケルトの雄弁の神オグミオスと同一視し、同じく雄弁を司るヘルメス=メルクリウスよりも上位に位置付けている(注8)。このイメージは中世に入って忘れ去られたが、ロッテルダムのエラスムスが取り上げたことで再び知られるようになった。エラスムスは自分と同じく私生児として生まれたとされるヘラクレスに共感を示し、友人たちに宛てた書簡の中で、プロテスタントやローマ・カトリックの人々から向けられる悪意に対して〈雄弁(執筆)〉を以て報いるという決意を示していた。また、自らが取り組んだ古代文学研究の苦労をヘラクレスの難業になぞらえた随筆『ヘラクレスの難業』では、「気高い努力によって世のために何かを成そうと努める人々に対して、不平を言ったり、陰で中傷したりする者」の〈嫉妬〉が、際限なく生え変わる怪物ヒュドラの首になぞらえられている(注9)。ヘラクレスを〈雄弁〉、ヒュドラを〈嫉妬〉とする文脈は、エラスムスの友人であるイタリアの人文主義者、アンドレア・アルチャーティにも伝えられ、エンブレムブックによって流布した(注10)。アルチャーティのエンブレムブック『エンブレマータ』(1584年、パリ版)に登場するヘラクレスとヒュドラのエンブレムは、岩場に腰掛けて遠くを見つめるヘラクレスと、その足元にヒュドラが倒れている様を表したもので、ルドヴィコの作品と似通っている〔図3〕(注11)。このイコノグラフィは
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