る。査定書中には以下のような文章がある。すばらしいと評価される建物の数々に明らかに見て取られるように、繊細な数学的・音楽的議論は、〔建築においては〕常に遵守されるものではなく、また遵守される必要もありません。判断力のある熟練の建築家は、数学的思索を行うと同時に、素材の問題を処理するものです。そして、彼らはそれを見事に建設という実際の行為に下ろしてくることが出来ます。実際に建てること、それが建築というものですから(注15)。カルロの陳述書は、ウィトルウィウスの建築書やエウクレイデスの数学理論などの引用から成る学究的な性格の強いものだった(注16)。教皇都市ローマを代表する建築を手がけてきたデラ・ポルタとフォンタナにとっては、カルロの案は理論上は完璧でも、実現性を欠いたややペダンチックな議論に思われたのであろう。ルドヴィコの《ヘラクレスとヒュドラ》が年記の通り1594年に描かれたとすれば、これはヴォールト建設の中止が正式に決定された年と一致する(注17)。事実、都市政府派からの支持を受けたカルロには〈嫉妬〉する敵も多く、教皇派として知られたボローニャの貴顕、エルコレ・ボットリガーリからは「ラテン語を解さない」という中傷を受けたこともあった(注18)。本作には教皇庁との長きに亘る議論を耐え抜き、ボローニャ都市政府の面目を保った叔父に対する労いの意を読み取ることが、ひとまず可能なのかもしれない。そのうえで、あらためて図像を見つめ直すことが必要であろう。ルドヴィコのヘラクレス=カルロ・カラッチはなぜ、頬■をつき思考しているのだろうか。よく知られているように、頬■はいわゆる〈メランコリー(憂鬱気質)〉のポーズであり、サトゥルヌスが支配する土星の影響下で思弁的な状態にある人間を表す際に用いられてきた。この気質がしばしば大工や建築家といった測量に関わる職業と結びつけられたことから、サトゥルヌスは幾何学を司る神とされることがあった。この場合、サトゥルヌスに支配された人間は数学や幾何学に才能を示すが、同時にメランコリーの気質によって精神を疲弊させ、過度に観念的になり、思考を現実のレベルに移す能力を失うと考えられていた。デラ・ポルタとフォンタナがいみじくも指摘した、カルロのヴォールト案の「実現性のなさ」は、まさに幾何学者の本質であり、弱点でもあったのである。メランコリーと幾何学のモティーフを巧みに結びつけた作品として、デューラーの― 81 ―― 81 ―
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