鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 82 ―― 82 ―《メレンコリアI》はよく知られている〔図7〕。パノフスキーは、メランコリーがサトゥルヌスに支配された天才特有の資質であり、ここでは「想像力を持ちながらも、形而上的な世界に足を踏み入れることができない」状態に陥った「芸術家の憂鬱」が表されていると考えた(注19)。この場合、頬杖をついて座り込んだ女性像は「思考するが行動できない」状態にあり、その隣で無心に何かを書きつけるプットーは「手を動かしてはいるが思考していない」。つまり、ここでは芸術家に必要な〈知恵〉と〈技術〉とが乖離した状態にある。ルドヴィコはおそらく、イタリアに流布していたデューラーの版画を目にしていただろう(注20)。両脚を大きく開き、顎を拳にのせて考えこむヘラクレスの姿は、確かにデューラーのメレンコリアを思い起こさせる〔図8〕。そしてデューラーのモデルに当てはめてみるならば、ヘラクレスが手にした松明の火はちょうど版画のプットーと重なり合う〈技術〉の火と見做すことが可能なのではないだろうか。ヒュドラ退治の武器としては棍棒が描かれることが多いが、ここではあえて松明が選ばれている。これは暖炉上という設置場所にかけて火を強調する必要があったということもあるが、おそらくそれだけではない。というのも、火を〈技術〉の象徴とする文脈は、チェーザレ・リーパ『イコノロジア』の「技術(Arte)」の擬人像に関する次の記述とも一脈通じると思われるためである。右手に小さな麦の穂とてこを、左手に火を持った貴婦人。〔…〕火は、物作りの基本的な道具としてそこにある。なぜなら、火は素材を固めたり柔らかくしたりすることで、人間のさまざまな生産活動において利用できるようにするためである(注21)。つまり、松明を片手に思考するルドヴィコのヘラクレスには、高度な知性と確かな技術を併せ持つ「職人」としてのカルロ・カラッチの姿を透かしみることができるのである。結語 変容するヘラクレス―「カラッチ」の記念碑後年、ルドヴィコの従兄弟アンニーバレは、ローマのファルネーゼ宮の小部屋に描いた《分かれ道のヘラクレス》に、ルドヴィコのヘラクレスの下半身の形を反転させて用いている〔図9〕。図像プログラムの要となる部分に、自分の叔父の姿にかつて重ねられたモデルを転用することは、アンニーバレにとって、単にボローニャで自分

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