中島氏論考注⑹、37頁。 今村紫紅「暢気に描け」『多都美』第8巻第3号、1914年注⒇参照。 本稿では福井県立美術館所蔵の岩野家文書と、越前市所蔵の「三田村家文書」(今立町誌編さん委員会編『今立町史料目録』(今立町、1980年、54-63頁)掲載分)より調査を行った。「三田村家文書」の全容は現在越前市文化課による調査中であり今後の報告が期待される。 古田亮「解説 熱国之巻」(北澤憲昭編『日本美術全集十七 明治後期~大正時代 前衛とモダ 古田亮『視覚と心象の日本美術史:作家・作品・鑑賞者のはざま』ミネルヴァ書房(2014年、 「暮之巻」を「夕之巻」と表記する先行研究もあるが、本稿では題箋と所蔵館(東京国立博物 富取氏談話、注⒃。 拙稿「今村紫紅における琳派受容について:『伊勢物語』を題材とした作品を中心に」『名古屋 松尾敦子「一九二〇~三〇年代の日本画の基底材について─製紙家 中田鹿次と岩野平三郎を中心に─」(『美術史』156冊、2004年、381頁)。藤木晶子「竹内栖鳳の水墨風景画と「栖鳳紙」─作品基底材からみる創作意図─」(『研究紀要』63、京都市立芸術大学美術学部、2019年、37-48頁)にて岩野氏と竹内栖鳳、横山大観らとの交流が研究されている。 二代目平三郎は、岩野平三郎『日本画用日本画紙案内』(岩野平三郎製紙、1981年、7頁)において、日本画紙を専門に作るまで岩野家は「奉書や襖紙の製造を主としていた」としている。 成田潔英編『紙漉平三郎 手記』(財団法人製紙博物館、1960年、70頁、94-101頁)。 『越前市史 資料編8 近代の越前和紙』(越前市、2016年、128頁)と今回調査の三田村家文 「七四 越前製紙案内」注、112頁(加藤家文書)。 加藤家文書注より、製紙の種類筆頭に奉書が挙げられている。ギャンのそれに似たものがあった」(隈元謙次郎「今村紫紅の藝術」『ミューゼアム』第21号、1952年)と指摘されていた。紫紅本人はインド旅行直前の雑誌において「新しがったり、自由がったりする人達は矢鱈にゴーホ、ゴーガン等の印象派連を担ぎ出して、南画なんどに対しては嘲笑を浴びせている。」「南画も印象派も同じく型に嵌ったもので、この間に何等新旧の差はない」(今村紫紅「暢気に描け」『多都美』第8巻第3号、1914年)と残している。ン』小学館、2014年、238頁)。248-258頁)。館)での表記に従い「暮之巻」とする。大学人文学フォーラム (3)』(2020年、1-17頁)にて詳しく観察している。書による。― 88 ―― 88 ―
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