鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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⑨雲岡石窟第6窟の独自性についての研究─他地域造像の情報受容と展開─研 究 者:成城大学 非常勤講師  熊 坂 聡 美1、はじめに雲岡石窟第6窟(山西省大同市)は、雲岡石窟を代表する大型窟の一つである。壁面全体が多くの尊像と多様な彫飾によって満たされ、石窟内中央には巨大な柱(中心柱)が彫り出されており、本窟の周到な造営計画を物語っている〔図1〕(注1)。現在、雲岡石窟の造営年代は大きく3期に分期されており(第1期:460年頃~471年頃、第2期:471年頃~494年、第3期:494~525年頃)(注2)、第6窟は隣接する第5窟(大仏窟)の対窟として、480年代以降の第2期後半に造営されたと考えるのが一般的である。本窟については、造営主体や造窟思想、他地域造像への影響などについてこれまでも繰り返し論じられてきたが(注3)、未だに明らかにされていない点も多い。特に、涇川王母宮石窟(甘粛省)や義県万仏堂石窟(遼寧省)に対して与えた影響の大きさについてはよく知られているが、反対に第6窟が他地域の石窟や造像から受けた影響については着衣形式など一部を除き、これまでほとんど注目されてこなかった。本研究ではこの点に注目し、第6窟が他地域造像から受容した影響と独自性を明らかにすることを目的とする。それによって、第6窟の特徴と造窟思想の理解へと繋げたい。2、雲岡石窟第6窟の概要第6窟は平面方形の中心柱窟である〔図2〕。中心柱、周壁ともに壁面は上下に分割されており、上層には如来立像が合計15体並ぶ。中心柱下層には如来坐像(南面)、如来倚坐像(西面)、二仏並坐像(北面)、菩薩交脚像(東面)が配される。東・西壁下層には3つ、南壁には2つの龕が開かれ仏伝場面などを表し、その下部にパネル形式で表された仏伝浮彫と屋形下の供養者列像が続く。北壁下層は全体が深く彫り窪められ、1大龕をなす。全体が統一的な計画に基づき、整然と構成されている点が本窟最大の特徴である。本窟を特徴付けるもう一つの重要な要素として、仏像の着衣形式の漢化が挙げられる(注4)。第5・6窟では袈裟や天衣の着け方をアレンジして中国風の着物を着ているかのように見せるような工夫がされている〔図3〕。ここで確立された形式がその後の仏像における主流となったことから、本窟は中国仏教美術史上の重要な転換点― 92 ―― 92 ―

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