(1)如来像:旋回文と波状線による頭髪表現と位置づけられている。中心柱窟の源流そして中国における展開については、すでに齋藤竜一氏によって詳述されている(注5)。雲岡石窟で最初に完成された中心柱窟は第6窟であったと考えられるが、中国ではそれ以前にも五胡十六国時代から河西回廊において中心柱窟が制作されたことが知られている。最も早期の例と考えられているのは、甘粛省武威の天梯山石窟第1窟および第4窟(北涼期:397~439年)である(注6)。その後、北魏時代には敦煌莫高窟第259窟(甘粛省、北魏)、金塔寺石窟東・西窟(甘粛省張掖、北魏中後期)などが造られ、これらは第6窟に先行する可能性が高い(注7)。以上の5窟や各地の単独像などが、雲岡石窟では第6窟で出現した新しい形式に対し与えた影響について次に検討する。3、他地域からの影響を示す要素雲岡石窟の如来像には基本的に頭髪線は刻まれないが、第6窟像では頭髪を表す点が特徴的である(注8)。同窟如来像の頭髪は額の上で渦を巻き、その周囲は波状に大きくうねる〔図4〕。頭髪が右回りに旋回する様子は、仏の額にあるとされる白毫を連想させる。波状の頭髪表現自体はガンダーラ造像に由来するが、額の上で渦を巻く表現は、タキシラなどの4~5世紀の作例に類例がある(注9)。また、同時期の中央アジアではトゥムシュクのトックズ・サライJ寺院址出土像などに、渦を明瞭に表す例がある〔図5〕(注10)。紀年銘のある中国国内の単独像のうち、旋回文と波状線による頭髪表現の認められる作例としては、太平真君4年(443)銘銅鍍金如来立像(注11)が最も早い。その後、和平2年(461)銘石造如来坐像(陝西省西安市西関王家巷出土〔図6〕)、皇興5年(471)銘石造如来交脚坐像(陝西省興平市出土)などが続き、太和年間(477~499年)には多数の金銅仏の作例が確認できる。ここで注意したいのは、像の制作地である。石製造像の早期の作例がいずれも西安付近から出土している点は興味深い。また、太和年間の金銅仏に関しては、多くが河北・山東一帯で製作されたと考えられることが、松原三郎氏によって指摘されている(注12)。したがって、雲岡石窟第6窟において窟内全体の如来像に採用された旋回文と波状線による頭髪表現は、中央アジアの情報が西安ないし河北地区などを経由して取り入れられたものと解される。(2)菩薩像:宝冠周囲に飾られた花形装飾第6窟では、菩薩像の宝冠上部などに小さな花の装飾を3つ程度配した形式が新た― 93 ―― 93 ―
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