鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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に採用された〔図7〕。完全に同じ形式を仏教造像の先行作例中に見出すことは難しい。類例は金塔寺東窟に認められる。中心柱上層に、大小様々な花形の頭飾で華やかに飾られた宝冠を戴く菩薩像や〔図8〕、髻に小さな花形の飾りをつけた天人像がある。さらに西の新疆キジル石窟第38窟左右壁上層には、天宮のバルコニーが連なり、楽器を奏でる男女の天人が描かれている。そのうち女性の天人の頭上中央には、半円形の頭飾があり、その上部および左右に3つの花が飾られている〔図9〕。雲岡第6窟像とは頭飾の形が相違するものの、頭飾と花飾りが組み合わせられている点で、金塔寺像よりもこちらの作例の方が、第6窟像に近似する。だがその一方で、仏教美術以外の絵画作品のなかにも類例を見ることができる点に注意したい。太和8年(484)の司馬金龍墓(注13)から出土した漆画屏風に描かれた女性像には、髻中央に1つ、さらに上部に3つの花形の飾りが認められる〔図10〕。司馬金龍墓の漆画屏風は南朝出身の墓主のために作られ、正統的な南朝貴族文化を伝える資料と位置づけられている(注14)。なお、当時の女性の頭髪は、金、銀、玉などで作られた花形の装飾(花鈿)や生花を差し、華やかに飾られていたという(注15)。頭上に花を飾る菩薩像ないし女性像は、このように各地に存在する。しかし第6窟菩薩像の着衣形式が中国式であることを鑑みるに、頭上の花形の飾りの採用に対して直接的な影響を与えた可能性がもっとも高いのは、当時の南朝の風俗であったと考えられる。(3)蓮花化生:十字髻雲岡石窟第6窟中心柱下層龕の楣拱額下縁に沿って、帷幕が巡らされている。帷幕と重なるように花綱も飾られ、それを捧げ持つ蓮花化生が一定の間隔で配されている〔図11〕。注意したいのは、蓮花化生の頭髪の結い方である。前髪を中央で左右に分けているが、頭頂部には丸い瘤状の部分と、そこから左右に伸びる環状の部分が認められる。他の菩薩や供養天などには見られない珍しい形式である。仏教造像の先行する作例中に、これと同形式のものを認めることは難しい。しかしこれも当時の風俗に由来するようで、先ほど挙げた司馬金龍墓出土の漆画屏風の女性たちの髻も同様の形である〔図10〕。ただし、十字髻と呼ばれるこの髻は西晋(265~316年)の頃より現れ、西安周辺の十六国墓や北魏墓の女侍俑などにも数多く認められる〔図12〕(注16)。また、大同でも2013年に発掘された東信国際北魏墓(430年代頃と推定)から出土している〔図13〕。なお、同墓の俑は男女とも鮮卑服と漢服の2種類が出土している。趙婻氏はそれが、435年と446年に長安から平城に多くの人びとが徙民された前後に、同― 94 ―― 94 ―

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