鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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使用し、その代わりに色線が多用され、かつ細かく表現されている。文様は地文に色線による雷文を中心に用い、団花文などを散らしており、緻密な描写となっている。これらの彩色方法や、使用されている絵絹の状態などから、本図は鎌倉時代後期(14世紀前半)に制作されたものと考えられる。龍源寺本の特徴龍源寺本には下記の通りいくつか特徴的な表現が見られる。まず初めに、本図に描かれる釈迦は蓮台を枕にし、仰向けの姿勢で描かれている。このような姿は平安時代から鎌倉時代初期の作例に見られるものである。また、釈迦が横たわる宝床が足元の側面を表す点や、やや細身の沙羅の木、周囲の会衆の姿などと合わせて考えると、本図は平安時代から鎌倉時代初期に制作された、中野氏がいう第一形式の涅槃図の図像的特徴を強く踏襲していると言えよう。そして、さらに細かく図像を検討した際、本図の規範となった作例が想起される。それが現在兵庫県立歴史博物館に所蔵される作例(以下兵庫県立歴史博物館本)である〔図8〕(注7)。兵庫県立歴史博物館本は鎌倉時代前半に制作された第一形式の涅槃図である。両図を比較してみると、例えば、龍源寺本の釈迦の前に置かれた供養台には仏飯が備えられており、その手前には合掌する俗人男性が描かれている。これは大樹寺本でも確認した純陀であり、龍源寺本でも「純陀供養」の場面が表されていると考えられる。一方、兵庫県立歴史博物館本を見てみると、細かい描写は異なるが、やはり釈迦の前に供養台が置かれ、仏飯が備えられており、手前には同じように純陀が描かれる。涅槃図中に供養台を描きこむ作例は、京都国立博物館に所蔵される「釈迦金棺出現図」や、東京国立博物館本、石山寺本などがあるが、平安時代~鎌倉時代前半頃に制作された作例の内、仏飯が備えられるのは管見の限り兵庫県立歴史博物館本が唯一ではなかろうか。また、個々の図像を比較しても、上空の摩耶夫人をはじめ、会衆の姿など兵庫県立歴史博物館本と一致するものが多いことから、本図の祖型として想定できよう。このように、古例を模倣したとも思われる龍源寺本であるが、同時代要素を取り込んでいる箇所も見受けられる。それが横たわる釈迦が身に着けている袈裟である。本図では、左胸の部分で袈裟の端に付けた鐶鉤を紐で結んで吊る形式となっている〔図9〕。これは、平安時代末から鎌倉時代以降に宋からもたらされた形式で、祖師像に多く見られるが、兵庫・浄土寺の快慶による阿弥陀三尊像など、主に鎌倉時代以降の仏像に多く見られるものである。つまり、龍源寺本は古い涅槃図形式(平安末から鎌― 107 ―― 107 ―

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