鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
120/602

注⑴『特別陳列 涅槃図の名作』図録(京都国立博物館、1978年)倉末に多い第一形式)を基本とした上で、制作当時に流布していた宋代文化を取り入れて制作された作例と考えられる。新しい要素を伝統的なものの中に落とし込んで再構成するという点で、大樹寺本とは異なる宋風文化の受容の仕方と言えよう。おわりに以上、大樹寺本と龍源寺本を取り上げ、調査報告と、若干の考察を加えた。その結果、大樹寺本は宋代仏画を下敷きに、伝統的・同時代的要素を加える形で制作されているのに対して、龍源寺本は、伝統的な形式を下敷きとし、宋代文化という新しい要素を加えて制作していることから、ある意味対照的なアプローチによってそれぞれ成立していることが分かる。つまり、この2作例は日本における宋代文化の受容を考える上で、非常に重要な作例であると言えよう。また、大樹寺本については、宋代仏画を積極的に受容した詫磨派の絵師である栄賀の筆とされることから、詫磨派における宋風受容のあり方を考える上でも非常に興味深い作例である。一方、龍源寺本については、ほぼ同時代・同図像のものが同じ三重県内の松阪市・龍華寺に所蔵されていることから、涅槃図の地域性というものを考える意味でも大変重要な作例である。平安時代後半から日本にもたらされた宋代文化は、様々な方面に多大な影響を与えた。涅槃図に限って言えば、鎌倉時代以降、中野氏がいう第二形式の作例が圧倒的に多いのは、長福寺本をはじめとした宋代仏画の影響であることは言を待たない。しかし、それでも時代毎に一定数は古本(平安末から鎌倉初に多い第一形式)を模倣したもの、もしくは再構成したものが存在するのは、そこに平安時代を原点とした回帰のような考えがあるのかもしれない。本論ではそこまで言及できなかったが、涅槃図が制作される際にどのような背景で形式・図像が選択されるのか、今後より研究を深めていく必要があろう。(中野玄三『日本仏教絵画研究』、法蔵館、1982年再録)中野玄三『日本の美術268 涅槃図』(至文堂、1988年)⑵西谷功「泉涌寺旧蔵「涅槃変相図」とその儀礼の復元的考察─鎌倉時代における宋式涅槃儀礼の受容─」(『佛教藝術』第344号、毎日新聞出版、2016年)(西谷功『南宋・鎌倉仏教文化史論』、勉誠出版、2018年再録)⑶大樹寺本および詫間栄賀については以下の論考に詳しい。藤元裕二「詫磨栄賀再考─交錯する伝統と創意─」(『佛教藝術』第318号、毎日新聞出版、2011年)― 108 ―― 108 ―

元のページ  ../index.html#120

このブックを見る