鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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⑪雪舟流溌墨山水図の研究─雲谷等顔の絵画的特質について─(1)玉澗との相違研 究 者:山口県立美術館 普及課主査  福 田 善 子はじめに墨を跳ね散らすように溌ぐ画法・溌墨は南宋時代の画僧・玉澗が得意とし、日本では室町時代以降、玉澗様の山水図として人気の画題となった(本論では溌墨山水図と玉澗様山水図は同じ意味として用いる)。この中国人画家の様式に倣って描く「筆様」制作は室町時代に隆盛し、桃山時代にも基本理念は引き継がれ実践されていく。雪舟流の後継者である雲谷等顔(1547-1618)も雪舟画のみならず中国絵画に学び、先行研究では人物図には梁楷と牧谿、真体山水図には李唐、溌墨山水図には玉澗からの受容が指摘されている(注1)。本論では、雪舟流を代表する画題でありながら、あまり研究が進んでいない等顔の溌墨山水図について絵画的特質を明らかにした上で、その制作背景および意義を等顔の社会的地位と役割に関連付けて考察する。1.等顔の溌墨山水図の絵画的特質等顔の溌墨山水図は襖絵、押絵貼屛風、掛軸、画巻、画帖など12点ほどの作品が知られる(注2)。桃山時代の画家の中では画面形状の種類と現存作品数の多さを指摘できる。その絵画的特質について結論から先に言えば、作品によって構図や運筆、墨色の用い方などの表現が異なり、独自の創意も加えた多様さ、幅広さを持つことである。すなわち等顔の溌墨表現に対する意識の高さと研究心、玉澗様選択の重要性が感じられる。本項では玉澗はじめ雪舟(1420-1506?)から同時代の海北友松(1533-1615)まで、等顔との画風の比較を行うことで等顔画の持つ特異性を明瞭にする。等顔はまず玉澗画の構図と筆墨表現を忠実に学習した上で、独自の表現の幅を広げていったと考えられる。とくに玉澗の基準作である旧東山御物の瀟湘八景図(現存3幅)は、後述するように桃山時代の茶会記にも登場し、等顔もその図様を見知っていたと推察される。等顔の最初期作、慶長元・2年(1596-97)頃の佛通寺襖〔図1〕において既に、画面中央の山間の楼閣へ左右から人物が向かう構図に玉澗筆瀟湘八景図のうち「山市晴嵐図」(出光美術館)〔図2〕、襖左端の橋が伸びた先に佇む舟上で2人の人物が向かい合う構図に「遠浦帰帆図」(徳川美術館)〔図3〕からの引用を指― 112 ―― 112 ―

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