2.リアリズムへの志向─彫刻における思想と美の問題2-1.リアリズム論争への参加─理想像としての活動する芸術家戦後まもない1940年代後半から50年代にかけて、芸術界をにぎわせていた「リアリズム論争」に本郷は独自の視点から論陣を張った。結論を先取りすると本郷は、「活動する芸術家」という存在にリアリズムのありかを措定したのである。リアリズム論争の主な論客としてしばしば挙げられるのは、林文雄、土方定一、植村鷹千代、永井潔、石井柏亭らである(注20)。ごく簡単に主要な論点を振り返るならば、林文雄は社会主義リアリズムに関心を抱き、絵画の主題に力点を置く。土方定一は主題ではなく絵画の造形面に着目した。絵画は芸術家の主観的な視覚によってとらえた視覚世界を描くものであるとし、リアリズムのありかは芸術家の視覚にこそあると考える。そして植村鷹千代は、抽象絵画をふくむアヴァンギャルド芸術も主体内部の「模写」表現であるとし、リアリズムの範疇とした。翻って本郷は、リアリズム論争において林のように社会主義リアリズムを高く評価することも、土方のように技法的にとらえることも、植村のように主体内部の表現にリアリズムを見出すことも単純には是としなかった。むしろ本郷は、以下に紹介する論考で述べるように芸術家の「行動」と芸術表現の統合に「リアリズム」をみようとした。まず1947年に「レアリズムについて」と題した文章では、「レアリテというからには、その根底にはおなじものがなければならない」と述べ、時代ごとに異なるレアリズムがあるという考えはとらない(注21)。また、土方が重視したような技術的な問題、すなわち対象を写実的に描くか否かという点にも立ち入らない。その代わり、「レアリテは現実にたちむかう志向でありそういう態度をもつてゆくことがレアリズムである」と述べ、リアリズムを芸術家の態度の問題としてとらえようとする。本郷の論をたどると、芸術家がもつべき態度は、「ロマンチズム」を伴った情熱的なものとして立ち現れてくる。「レアリズムに、真に生きるためにこうなりたい、かくありたいという人間のインテンション(志向)がはたらくためにおこるロマン性であり、これがなければ、…たんなる卑俗な説明、報告におわり芸術性は低くなつてしまう」という。さらに翌年、1948年の「レアリズムの門」(注22)では、「リアリズムは意志であると共に志向である。そしてリアリテは、その意志と志向が造形的表現の中に息づいているものでなければならない」と述べる(注23)。注目すべきは、やや観念的に展開する議論の終盤において、具体的な芸術家の理想像としてピカソを挙げていることで― 127 ―― 127 ―
元のページ ../index.html#139