①遠山霞文画面最上部には毛筋の幅ほどの細い横線と、三山形をなす小さな山の図像が数か所認められる。これは遠くに棚引く霞と、その間に見え隠れする山を表わしたもので、ここでは遠山霞文と称する。国内の類例としては法隆寺金堂釈迦三尊像の下座背面台座画(623年)をはじめとして、同じく法隆寺の七星文銅大刀(7世紀前半)、法隆寺献納宝物の灌頂幡天蓋(7世紀後半)や高松塚古墳壁画(7世紀末)がある。②樹木画面中央に大きく樹木が描かれている。僧形像の頭頂部に接して幹が2つ表わされているが、これは幹が二股に分かれた表現だろう。幹がひょろりと長く、数少ない枝に茂った樹葉もまばらである。樹葉の形はちょうど開いた手のひらを垂らしたようで、葉の切れ込みは鋭く、先が尖っている。樹葉における彩色の多くが輪郭に沿って抜け落ちているのは、緑青など金属性の顔料を用いたため基底材の劣化(いわゆる緑青焼け)が進んだ結果である。③宝珠樹葉の茂りの中に宝珠が確認できる。宝珠は円形で辺花座を伴っており、現在7弁が認められるが、剥落状態からもとは8弁であったことがわかる。また宝珠の中には全葉パルメットが確認でき、こちらも剥落状況からもとは7弁であったと考えられる。④火炎状の樹葉画面の左右両端には人魂が浮かんでいるかのように、火炎状をなす形が複数認められる。一見すると火炎宝珠のようでもあるが、同様の樹葉表現が釈迦如来像の下座背面にも認められ、薬師如来像の場合も樹葉と判断される。⑤僧形像画面中央には禅定姿の僧形像が認められる。頭部上方に剥落痕がひろがり、また両肩上には上方に伸びるかたちで袈裟の縁が表わされているため、これは袈裟で頭頂を覆った姿と判断される。面部から胸にかけては肌色の顔料がよく残っており、細い墨線で目鼻や輪郭が表わされている。また衣は褊衫(下衣)を右前に打ち合わせており、みぞおち辺りまで胸前を開いている。― 2 ―― 2 ―
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