本郷新「レアリズムについて」『東京民報』1947年5月20日。 本郷新「リアリズムの門」『創美』6/7、1948年、pp. 24-27。 同、p. 26。 同、p. 26(原文ママ)。 土方定一、福澤一郎、本郷新「廿世紀のレアリズムとは?─読売新聞主催によるレアリズム 同、p. 23。 本郷新(林文雄による要旨)「フランス・ソヴェトの現代美術」『美術運動』35号、1953年5月1日、日本美術会。また、スターリンの葬儀にも参加した本郷は式典の様子について図を交えて伝えている。本郷新「訪ソ画帖─『人民の教師』をう 憂いの赤都の藝術遍歴」『改造』No.34(7)、1953年6月、pp. 120-125。 『彫刻の美』の「思想と彫刻」において「純粋な彫刻の美感は、その形自身がもっているものであって、彫刻にふくまれている物語や説明のためではない。…どんなに勇壮な姿をした武人の彫刻でも、その姿の意味だけに感動してしまっては、彫刻の美はわからない」と指摘する。 本郷新「モスコーの彫刻家マニーゼル氏との会見記」『図書新聞』1953年5月16日。 本郷新「ロダンからムーヒナまで─記念像をめぐって─」『世界』No. 102、1954年6月、pp.されている。なお西園寺がこの海外渡航について記したエッセイには、本郷が挿絵としてデッサンを提供した。西園寺公一「プラーグの素描」朝日新聞、1953年1月20日、西園寺公一「一つの広場一つの塔」日曜新聞、1953年1月25日。⒂『アジア連帯』第2号、アジア連帯員会発行、1956年2月25日。帰国を報じる同紙第6号(1956年7月20日発行)によれば、最終的に渡航した文化人は下記の19名。谷川徹三(哲学者)、杉村春子(女優)、石川達三(作家)、八田元夫(演出家)、村松梢風(作家)、尾崎宏次(演劇評論家)、星野立子(俳人)、花柳徳兵衛(日本舞踊家)、松岡洋子(評論家)、芥川也寸志(作曲家)、福田豊四郎(画家)、城戸幡太郎(教育学者)、今泉篤男(美術評論家)、淡徳三郎(アジア連帯委員会事務局長)、菊池一雄(彫刻家)、本郷新(彫刻家)、加藤唐九郎(陶芸家)、渡辺義雄(写真家)、木下恵介(映画監督)。⒃石川は本連載において無制限の自由を謳歌する日本を批判し、制限下におかれた中国やソ連の社会状況を擁護した。この連載をきっかけとして当時の文壇では「自由」に関する議論が活発化した。⒄渡航時は法政大学教授。その後帝室博物館次長、法政大学総長を歴任。哲学に関する著作に加え『芸術の運命』『茶の美学』等優れた芸術評論、随想を残す。⒅主な関連著作に谷川徹三『平和の哲学─世界連邦政府運動のために』社会思想研究会、1953年、『世界連邦の構想』講談社、1977年。⒆1975年に日本橋高島屋にて開催された「本郷新・彫刻五〇年展」の記念パーティーを訪れる谷川の写真が「カメラ訪問 本郷新」『日本美術』1975年10月号に掲載されている。なお谷川徹三に関する資料は、法政大学と常滑市立図書館に所蔵されている。常滑市立図書館の資料については「谷川徹三を勉強する会」によって長年研究が進められている。今回同会への聞き取り調査においては本郷新との関わりを示す新資料の発見には至らなかったが、継続的な調査が必要と考えている。⒇本稿では紙幅の都合上、リアリズム論争の主な論点をあげるにとどめる。リアリズム論争の詳細な分析については、中村義一『日本近代美術論争史』求龍堂、1981年。討論会─」『BBBB』1950年1月号、pp. 16-26。― 134 ―― 134 ―
元のページ ../index.html#146