鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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⑬昭和4年(1929)「日本民芸品展覧会」に関する考察研 究 者:京都芸術大学 非常勤講師  原 田 喜 子はじめに本研究の目的は、民芸運動の中心人物である柳宗悦(1889-1961)の展示創作活動を明らかにすることである。本稿はその一端として、昭和4年(1929)に開催された日本民芸品展覧会について考察する。「民芸」とは、「民衆的工芸」を意味する造語であり、柳を中心とした同人たちによって1925(大正14)年に造られた。柳らは、無銘の工人が作った日常の雑器に美的価値を見出し、それを新しい美の標準として主張した。そして、民芸運動とは、民芸品の常設展示施設を開設することを目的に始まったものであった。民芸にとって、展示とは最も重要な活動なのである。筆者は、1928(昭和3)年に開催された大礼記念国産振興東京博覧会(以下、大礼博)の出品物「民芸館」の展示について研究を行った(注1)。この大礼博の「民芸館」は「最初の民芸館」と言われている。この展示は、建物と民芸品を総合的に展示したモデルルーム式展示(注2)であった。展示品をケースに入れず、実際の生活さながらの空間に配置し、その中で、「民芸美」を来館者に体験してもらうことを狙いとした。日本民芸品展覧会はその翌年に開催され、大礼博の「民芸館」とのつながりが多数みられる。本稿は日本民芸品展覧会の様子を考察し、柳が展覧会に込めた意図について述べる。1.展覧会の概要本展覧会は、昭和4年(1929)3月15日から17日の3日間、京都大毎会館で開催された。昭和2年(1927)に東京の鳩居堂で最初の日本民芸品展覧会を開催して以来、2度目の開催であった。京都大毎会館は、昭和3年(1928)に毎日新聞社京都支局として建設された。毎日新聞社の京都支局として使われただけでなく、最上階に設えた大ホールでは竣工年に河井寛次郎が個展を開催するなど、数々の文化行事が行われ、民芸と縁のある会場であった。主催は日本民芸美術館(現・日本民芸館)、後援に大阪毎日新聞社京都支局がついた。大阪毎日新聞は、大礼博の際に「民芸館」出品の趣旨を記した柳の寄稿文「民芸館に就て」を掲載した。京都支局長であった岩井武俊(1886-1965)は民芸運動の支― 139 ―― 139 ―

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