鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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は3件であった。山本は大礼博の「民芸館」出品に多額の出資をしただけでなく、その「民芸館」を自宅に移設した。山本の出資者としての立場の表れと捉える。柳の出品件数を各分類に見てみると、「陶器」が174件中22件、「木、竹、漆、金工類」が95件中16件、「民画」55件中25件、「染織類」が15件中3件であった。「民画」では、出品者として最も割合が高く、陶器よりも多く出品した。陶器についてもその絵付けに注視していることなど、本展覧会での柳の品は立体物よりも平面的な絵画的な要素に集中していたことが窺える。本展覧会の出品物が大礼博の「民芸館」のものと大きく異なるのは、民芸同人が制作した品を出品していない点であった。大礼博の「民芸館」では、新しい生活様式を実現するため、理想とする品を同人が制作し、出品した。陶芸家の河井寛次郎(1890-1966)、濱田庄司(1894-1978)、そして昭和2年(1927)に発足した上加茂民芸協団が出品した。しかし、本展覧会では、河井と濱田らは所蔵品を出品したが自身が制作した品ではない。また、朝鮮の品も出品されていない。これらの違いは何を意味するのだろうか。3.出品物の詳細『日本民芸品展覧会目録』に4つの出品物が写真で掲載された。柳は、これら4つについて解説を添えた。そこで、「自然」や「伝統」、「親しさ」など、「民芸美」となる要素を各品の特徴にもとづいて示した。それらの要素は事象や観念的な要素が多くを占めた。本稿ではそれらに加えて、「民芸美」となる外見の要素について考察して述べる。1枚目〔図1〕に掲載されたのは、「陶器」の煮染皿「藍絵鉄砂入 舞鶴」であった。番号は9番、尾張瀬戸産で、岩井の所蔵品であった。本品を取り上げたのは、本展覧会に大いなる支援をした岩井への忖度もあったかも知れないが、岩井が民芸思想の良き理解者であり、岩井自身も民芸美を見定める眼の持ち主であったことを示している。柳は、本品に「自由さと豊かさと温味」を見出した。とりわけ、模様の美しさに注目し、その美が伝統や無銘の工人の反復の作業に起因することを説いた。この主張は、柳が民芸美を語るうえでの特徴である。そして、それらは観念的で具体的に明文化されないことも特徴である。この鶴の絵の最も目を惹く部分は、現実ではありえない、大胆に曲がりくねった鶴の首である。まず、ここに自由さが見える。しかし、その筆致はとても滑らかで、無― 141 ―― 141 ―

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