鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
154/602

理を感じさせず、そのため、奇をてらったようにも思わせない。そして、羽は、左右対称ではなく両側に大きく開き、軸となる線を太く、濃い筆致で描かれ、大胆さと華やかさがある。写実的ではないが、鶴の特徴を的確に描き出し、模様としての豊かさがある。全ての線は曲線で、太さも均一ではなく、そこにもまた自由を感じる。全ての線は単純化されながらも、何を表現しているのかが明確に分かる。鶴の下の弧が地平線を表し、鶴の周囲に描かれた数本の短い線で鶴の動きを表している。漫画のようで、稚拙な表現に思われるが、そこに温かみがある。左の羽は首の輪郭線で隔て、体の向こうにあるという奥行きを表現している。この確かな表現力も豊かさに繋がる。絵師として画技を学んでいない陶工が、伝統的な仕事の中でこれだけの美を培ってきたことを柳は賞賛した。2枚目〔図2〕は、「陶器」の「白地に黒流し釉 塩入」。番号は42番、丹波立杭産、民芸美術館の所蔵品であった。この品では、丹波立杭焼の伝統とその危機に触れた。柳は、胴体の流し釉の美を取り上げた。人為的では無い、重力という自然現象によってできる模様を讃えた。その単純さを「貧しい」と言い表したが、初代の茶人のような侘しさへの美意識を理想とする柳には、「貧しい」は「美しい」と同意義であったと捉えられる。流し釉だけでなく、蓋の菊水紋様の美も取り上げた。流し釉に対して、人為的なものであるが、流し釉と同じぐらいの太さと濃さで描かれ、極めて単純化した線は流し釉と似て、一体感がある。菊の花弁は一枚を一筆で、線の太さを変えて表されている。花弁の配置は蓋の形に沿っていて、器体とも一体感がある。菊の下、蓋の半分に一筆で流水を描くき、うねりによって太さが変化する筆致は、流し釉と同様に動きを感じさせる。人為的な紋様も単純化によって、また器の形に沿うことで、自然に近づけるということが示唆されている。しかし、柳は「誰も之以上簡潔に立派に描くことはできない」とし、それが難しいということを伝えている。単純や自然を讃えるだけでなく、そのことの難しさや厳しさなど、一つの出品物に柳は複数の意図を見込んでいた。3枚目〔図3〕は、「木、竹、漆、金工類」の「煙草入」であった。番号216番の「煙草入五種」のうちの一つで、民芸美術館の所蔵品であった。柳はこの品の彫りの強さに注目した。また、使い込んで完成する美、誠実な仕事に― 142 ―― 142 ―

元のページ  ../index.html#154

このブックを見る