よる美、そして発注者と制作者の関係性が美を生み出すことに言及した。外見から考えられるのは、彫りが強く深いということは、それだけこの器体が分厚いということであり、それだけ中に入れた煙草を湿気から遠ざけていることになる。道具としての用がきちんと備わっていることが暗示されているのではないか。また、強く深い彫は使い込まれて端々の鋭さが無くなり、鋭さの端々に柔らかさも見える。よく撫でられた表面は、滑らかでつやがある。それだけこの煙草入れが手に馴染んで持ちやすいということが想像される。よく使われるには、その品にそれだけの理由があり、それが品物を一層美しくするということを示した。この使用の跡の美しさを示した点に、大礼博の「民芸館」との差がある。大礼博の「民芸館」が新しい生活を見据える意図が強かったのに対して、本展覧会は伝統的な日本の生活を振り返る懐古の意図が強く感じられる。そのため、同人が制作したまだ使われていない新作は出品しなかったのではないだろうか。新しさよりも、ここでは伝統的な生活の跡を強調した。後に、新作と古民芸品を分けて展覧会を開催するようになった。4枚目〔図4〕は「木、竹、漆、金工類」の船箪笥「欅片開き定紋入(丸木瓜)透し彫り唐草総鉄金具」であった。番号182番、河井寛次郎の所蔵品であった。船箪笥は、煮染皿、行灯皿、煙草入れに比べると、船に乗る人以外には身近な存在ではなかったはずである。柳はこの品の仕事に注目した。この品に添えた説明で、当時の工芸が危機に陥った問題は「多端」と「錯雑」にあるとした。しかし、この品の金具の装飾や鍵など、手の込んだ造りに見える。ただ、それは丈夫さのためであり、実用として必要なものであり、「多端」ではない。そして、その装飾は手が込んでいても、伝統に基づいた日本人に親しみのある模様で、すぐに唐草模様であるとわかり、「錯雑」には感じない。柳は、「多端」と「錯雑」を批判しながらも、単なる形の単純化を推奨していないことをこの品で示唆した。船箪笥を例に、用と美を兼ね備えた有意義な仕事の大切さを示した。柳はこれらの道具としての普及を訴えたのではなく、それぞれが持つ特徴で、民芸の美の代表格として示した。外見の特徴として、煮染皿では無銘の工人の豊かな筆致を、塩入では自然が作る造形を、煙草入れでは使い込まれた跡、船箪笥では伝統に則した造形の利を示した。これら4つの品に共通する外見の特徴は、太く厚く、丸みがあると感じさせることである。逆を言えば、繊細さは無い。また、これらの外見は明― 143 ―― 143 ―
元のページ ../index.html#155