快である。逆を言えば、難解なところがない。それらが柳の言葉で表現されると、「親しさ」、「健康」となる。上記のような特徴は、これら4つの品に限らず出品物のすべてに当てはまる。これが、本展覧会で示した「民芸美」といえる。太く、厚く、丸みがあるから、親しさがと健康があって美しいと言ってしまえば、単純なことであるが、その関係性には上記で考察したようなさまざまな要因が絡み合っていて、単純なことではない。柳は単純な説明ではなく、観覧者が自らの眼で観て、民芸美を理解することを促すために展覧会を行ったのであった。4.展示の概要会場は、大毎会館3階のホールであった。その様子を写真〔図5〕から考察する。アーチに支えられた天井が象徴的な空間である。ケースを用いず、パーテーションと台を使用した展示方法で、博覧会でもよくみる展示方法である。パーテーションを中央に配置して空間は二つに区切られ、そのパーテーションの両側に長い台が配置された。その台の上に、3列で出品物が並べられ、一番奥の列の品は一段高い台に配置され、皿のような平らな品は立てて配置された。奥に配置された品も鑑賞者に見やすくなるように配慮されていた。更に、手前の2列の品も、平らな品は、奥側を高く、斜めに配置し、絵柄が鑑賞者に見やすくなるように配置した。二つに分けられた空間は、短いパーテーションを壁に垂直立てて、複数に区切られた。パーテーションの前に台を置き、それらの台にも段差をつけて、出品物を配置した。パーテーションには絵画のような平面な品が掛けられた。結界はなく、来場者が作品を手にしている様子が写真に写っている。大礼博の「民芸館」は実生活に則して出品物を配置し、その集合体で生活空間を構築した。それに対して、本展覧会は出品物を直線的に淡々と配置し、生活の要素は見られない。行燈皿で言えば、行燈の供ではなく、皿単体で複数並ぶことは日常の生活空間ではないだろう。しかし、出品物の間に何ら関係性が無いわけではない。行燈皿は、同じ形の皿が並ぶことで、それぞれの絵の違いが際立って見える。互いの差異により、無意識に絵を見せられる工夫がある。柳は民芸の美を暗示的に展示した。本展覧会は大礼博の「民芸館」とは違う方法で、民芸を別の角度から見せた。パーテーションと展示台を無地の濃い色で統一し、出品物以外の要素を極力少なくしている。まるで、ホワイトキューブの濃色版のようである。出品物の傍らに置かれた白い札が、説明書きだと考える。名刺ほどの小さなサイズであることから、目録に― 144 ―― 144 ―
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