鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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の長鼻三爪龍になったのではないだろうか。だが、龍のデザインを少しでも違えると別の龍になってしまうから、見本通り厳密に描かせる必要があった。これが長鼻三爪龍の構図が2種類しかない要因になったと考えられる。以上のように、長鼻三爪龍は皇帝権力を象徴するのではなく、国外に下賜することで、中華の威光を広めるための龍文であった。明朝は皇室専用の龍文を作り上げると同時に、その龍のデザインを少しずつ変えて臣下に与えることで、儒教的な階級秩序を構築したのである。くわえて、諸外国に官窯製の龍文青花を下賜することで、世界を1つの家と捉える明朝の理念を体現させたと考えられる。タイプ③ マカラ式の龍明代の官窯磁器には、これまで見てきた龍とは大きく異なる風貌を持ち、草をくわえた状態で描かれる龍文も確認できる〔図13、14〕。その特徴は、鼻が長く、脚は前のみ付いており、胴体の後ろ半分は唐草状に広がっている。このような異様な龍文は、宣徳年間(1426~35)に始まり、成化年間(1465~87)で流行する。なお、先行研究では「夔龍」や「香草龍」と呼ばれているため(注12)、本報告でも龍の1種として取り上げる。同様の龍文は、ほぼ同時代の宣徳6年(1431)に製作された、南京大報恩寺の琉璃塔門のレリーフでも確認できる〔図15〕。この寺はチベット僧のために建立されたものであり、塔門のデザインは完全にチベット式である。したがって、草をくわえた龍は、中国の伝統的な龍ではなく、チベット由来の聖獣である「マカラ」を描いたものだと考えられる(注13)。実際、宣徳以降の官窯磁器には、チベット要素が多分に見られる。例えば密教法具の器形、チベット式梵字である蘭札体、チベットの吉祥文である八吉祥図の採用など、極めて多岐にわたる。数ある聖獣の中からマカラがとくに好まれた理由としては、塔門にもあるようにマカラは頻繁に対になり、聖人の騎乗動物でもあり、気のように万物を生み出すなど、マカラと中国の龍には共通点が多く、マカラを龍の代わりとして描くことに違和感がなかったからだと考えられる。とくに、官窯磁器に見られる振り向くマカラ文は〔図16〕、本来チベットにない構図であり、振り向く短鼻五爪龍文を応用したデザインであろう〔図17〕。これは、チベットの聖獣であるマカラを、中華の龍文の体系に取り込んだことを意味している。では、なぜチベットの要素を官窯磁器に取り込んだのであろうか。これは当時の明朝とチベットの関係に起因すると考えられる。洪武21年(1388)、明朝の軍隊が元朝― 153 ―― 153 ―

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