注⑴林巳奈夫、「中国における蓮の花の象徴」、『東方学報』59、京都大学人文科学研究所、1987⑵亀田俢一、『日韓古代瓦の研究』、吉川弘文館、2006、p. 364-365⑶坪井良平、『日本の梵鐘』(新装版)、吉川弘文館、2019、p. 80-81⑷杉山洋、「平等院鐘の製作年代と「空白の二世紀」」、『仏教芸術』216、1994、p. 110⑸五十川伸矢、『東アジア梵鐘生産史の研究』、岩田書院、2016、p. 78⑹佐野みどり、『名宝日本の美術第10卷-源氏物語絵巻』、小学館、1981・河添房江、『源氏物語紀の高麗鐘(広島県不動院所蔵)などのそれと似ている。そして平安後期の瓦において、1)一本または二本の蔓でできた唐草文、2)蓮の部分が三つに分けられている蓮唐草文が11・12世紀の高麗の鐘・瓦の唐草文と類似している。このように11・12世紀の高麗鐘で見られる唐草文が平安後期の絵画や工芸(鐘・瓦)、宮中の生活(屏風・衣服)などの様々な分野で確認することができ、高麗の美術が平安の宮廷の上層階級などで好まれ、平安後期の文化や美術に幅広く受け入れられたと考えられる。図版出典図1 奈良文化財研究所、『新羅鐘・高麗鐘拓本実測図集成』、2004、p. 57The Tale of Genji, The Metropolitan Meseum of Art,New York, 2019, p. 89, Fig50越境論』、岩波書店、2018、pp. 265-268⑺佐野みどり、『じっくり見たい「源氏物語絵巻」』、小学館、2000、p. 107⑻『紫式部日記絵巻の第4卷(日野原家本)』、丸善株式会社、平成16・⑼黒田泰三は絵巻に描かれるように画中の検非違使が火事場に駆けつけるのが長寛年間(1163-65)から建久年間(1190-99)までと限られていることから、『伴大納言絵巻』の製作時期は12世紀後半と考えられている。黒田泰三、「伴大納言絵巻研究(上)」、『出光美術館研究紀要』12、2006、p. 70⑽福山敏男、「飛鳥寺の創立」、『日本建築史研究』、改訂版 墨水書房、1972⑾植山茂、「平安時代中期の官瓦窯について」、『瓦衣千年 -森郁夫先生還暦記念論文集』、森郁夫先生還暦記念論文集刊行会、1999、p. 163⑿上原真人、「十一・十二世紀の瓦当文様の源流(下)」、『古代文化』第32卷 第6号、1980、p.8-9⒀上原真人、「平安後期の軒瓦に関する基礎的な研究」、『考古学論考-小林行雄博士古稀記念論文』、平凡社、1982、p. 644⒁山崎信一、『古代造瓦史-東アジアと日本-』、雄山閣、p. 341⒂植山茂、「平安時代中期の官瓦窯について」、『瓦衣千年─森郁夫先生還暦記念論文集─』、森郁夫先生還暦記念論文集刊行会、1999、p. 162― 167 ―― 167 ―
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