鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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園の龍花菩提樹のもと、1日にして悟りを開いた弥勒は如来となり、国王や神々とともに翅頭末城に入り、城中の中央にある金剛宝座において法を説く。その後弥勒如来は花林園に戻って2度にわたって説き、すべての人々や神々を救うという。以上の3度にわたる説法(三会説法)を終えた弥勒如来は帝釈天の勧めにより狼跡山(鶏足山と同じ)に向かい摩訶迦葉を供養する。弥勒如来はかつて釈迦如来が法を説いた耆闍崛山の麓から隣の狼跡山に登り、大城門を開くように両手で山を開いたところ摩訶迦葉が現れた。摩訶迦葉は釈迦如来の袈裟を弥勒如来に捧げるが、この時代の人は身長が非常に高くなっており、袈裟はわずかに2本の指を隠すだけであった。過去の仏は小さくて卑しいのではないかと怪しむ人々に対し、摩訶迦葉は様々な奇跡をみせ、また仏の教えを説く。すると人々は感動し、各々悟りを得たという。さて、薬師如来の台座画に戻ると、下座背面に描かれた僧形像は袈裟で頭を覆い瞑目しているが、これは『阿育王経』において「我が神通力を以って、当に此の身を持つべし。糞掃衣を以って覆い、弥勒仏の出るに至れ」(原漢文)と説かれているように、釈迦の袈裟に宿る神通力で肉体を保存したまま涅槃に入った姿と理解できるだろう。また僧形像の両脇をなす山岳も、その動きのある形は『仏説弥勒大成仏経』にあるように、「大城門」が開くように山が裂けて開いたところと見ることができる。僧形像に寄り添う動物と背後の樹木については適切な解釈が示せないが、『阿育王経』によると大迦葉は羅刹という鬼神によって守られ、天花が覆っているといい、あるいはこのトラのような動物と樹木にあたる可能性もある。以上の諸点により薬師如来像の下座背面画の画題は、鶏足山における摩訶迦葉の入定である可能性が高い。4 薬師如来像との関係と制作背景に関する試論ここにおいて、なぜ薬師如来像の下座に弥勒下生の物語が描かれているのか問題となる。まず前提として薬師如来像と下座の一具性だが、これは両者の規格と様式から、当初より一具のものと判断される。下座は上に安置されている像に比べて、著しく丈高な点に大きな特徴がある。一方で、平面積において上座と下座が視覚的によいバランスであることからすれば、あえて高さだけが異様に高いと言えるだろう。その理由は、釈迦三尊像の下座と高さを揃えるためではないだろうか。現状で釈迦三尊像下座の台脚部はすべて後補となっており、当初の正確な高さを知ることはできない。ただその総高は130.2センチであり、薬師如来像下座の総高136.3センチと僅かに6.1センチ差である。金堂で参拝する目線においても両者の高さはよく揃っており、― 6 ―― 6 ―

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