鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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徳山暉芳、山本悍右、後藤敬一郎、田島二男の出品が確認できる(注30)。この青柳総本家広小路店とは、後藤が自社店舗内のスペースを展示用に提供したものだ。1952年4月、後藤は広小路に店舗を復活させ、店内に「近代的なギャラリーを開設」して、企画を新東海新聞社の野村博に依頼した(注31)。当時南山大学仏文学教授として招聘されていた画家のロジェ・ヴァン・エック展を柿落としとし、展示の内容は多岐にわたった〔表2〕。また開催年を特定できないが、1952年に日本で初公開されたディズニー映画『シンデレラ姫』のセル画展を開催している(注32)。「近代的なギャラリー」とは名ばかりで、店舗の壁面上部に平面作品を並べ架ける様子からは仮設的な展示の印象は拭えない〔図7〕。ただ、柳宗理や宮脇晴、ロジェ・ヴァン・エックら15名の美術家、文化人らを招き、菓子材料で作品を作らせた「お菓子による作品展」のようなユニークな展覧会は、商品と作品とが混在するこの空間ならではの試みと言えよう。また、アップリケ作家として知られる宮脇綾子の初個展も、同店で開催されている。いわば美術業界のメインストリームや、その対立項としての前衛からは外れるような作家・作品を積極的に取り上げた点に、このギャラリーの特徴と意義を認めることができる。後藤は1954年3月、広小路店に柳宗理設計による茶房「青柳」を設け、さらに1956年6月には名古屋銘菓センターのケース前通路に「銘菓センター画廊」を新設し、いずれも展示スペースとして運用した(注33)。名古屋市内で空襲の難を逃れた展示スペースがごく僅かだったという事情もあってか、後藤が青柳総本家の事業拡大に伴い展示場所の確保にも努めていた点は、注目すべき動きである(注34)。3.3.活動の場の拡大この頃から後藤は朱泉会や個展、主観主義写真展と、名古屋にとどまらず幅広い作品発表の場を求めるようになった〔表3〕。中でも評価されてきたのが、「第1回国際主観主義写真展」(1956年、東京高島屋8階ホール)への参加だ。ドイツの写真家オットー・シュタイナートが選抜した14カ国75名の写真家による182点に、同年5月結成の「日本主観主義写真連盟」会員による90点と一般公募40点を加えた同展は、瀧口修造や阿部展也らが主導し、大阪、福岡に巡回した(注35)。続く1958年の「日本主観写真展」(富士フォトサロン)、1960年「主観写真展」(小西六ギャラリー)にも後藤は出品を重ねているが、この主観主義写真の展開については既に多くが論じられているため(注36)、本稿では後藤が同時期に展開した他の活動に触れておきたい。朱泉会とは彫刻家の野水信(1914-1984)、画家の石黒二郎(1920-1976)、書家の萩― 177 ―― 177 ―

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