鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
192/602

瀧口修造「紙上発言」同号、20頁。 後藤敬一郎、無題『Carnet de VIVI』1号、1948年6月(後藤資料)。 無記名「造形写真作家展 きょうから広小路青柳で」『夕刊新東海』1952年7月19日。 前掲『青柳百年』、26頁。 「ウォルト・ディズニイ・プロダクシォンズ直送『シンデレラ姫』セルロイド原画展DM」(5 阿部展也「フォト・ニュールック:前衛写真家写真集」『週刊朝日』秋季増刊号、朝日新聞社、 「第10回美術文化協会展出品目録」(1950年3月10日─21日、上野公園都美術館)(後藤資料)。 「第16回美術文化展目録」(1956年4月21日─29日、愛知県文化会館美術館)(後藤資料)の主催欄に美術文化協会、書典社、中部日本新聞社と並んでVIVI社の名が記載されているように、名前としてはしばらくの間存続していたようだ。 阿部展也、斉藤義重ほか「前衛写真を語る座談会(東)」『写真手帖』2巻5号、国際写真出版社、 阿部展也「展覧会開催の意義」『サンケイカメラ』34号、産業経済新聞社、1957年2月、 たとえば飯沢耕太郎『戦後写真史ノート』中央公論社、1993年、34-50頁。 高橋綾子「「朱泉会」が問うもの(前編):前衛精神の葛藤と矛盾1953-1964」『名古屋造形大学 瀧口修造「影像の賭け:後藤敬一郎の仕事について」『カメラ芸術』9巻3号、東京中日新聞、1962年3月、136-137頁。高階秀爾「幻想的なパターン」『芸術生活』16巻3号、芸術生活社、1963年3月。 後藤敬一郎「作品63-C-4」『カメラ芸術』10巻2号、1964年2月。 後藤「機械と感覚のドラマ」前掲『フォトアサヒ』54号、20-21頁。 高橋綾子「羊かん彫刻とその時代」『ドキュメント しかしかしか 第3回なごや寺町アートプロ 後藤敬一郎「猿面」『カメラ芸術』8巻9号、1961年9月。1949年9月。1950年1月、2-19頁。月11日─17日)(後藤資料)。 前掲『青柳百年』28-29頁。 戦後名古屋の展示場所確保の状況については別稿で論じた。副田一穂「日本画と前衛」『アイチアートクロニクル1919-2019』愛知県美術館、2019年、120-125頁。紀要』2021年3月、25-41頁。ジェクト』名古屋造形大学、2020年3月、17-32頁。― 180 ―― 180 ―

元のページ  ../index.html#192

このブックを見る