鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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その同年4月20日条には、以下のように記される。旧明治會堂にてフエネルサ氏の繪畫演説あり、右へ行く。…同日フエネルサ氏及ビゲロー氏所藏の畫數十幅展觀に出だす。(1)岸駒の鹿第一によし、次に應擧の虎佳なり。(2)呉春の人物(佛像)美事、筆力あり。光琳の花卉金屏風一双、(3)應擧の松山水、かたがた雪中の山水の屏風及文晁の浪越の龍等何れもよろしき品。一鳳の山水數多あり。上龍の美人は艶なり。桃水の筆櫻にからすもまた美なり、松永氏所藏と函に記す。來章の鯉は應擧の鯉に似たり。耕靄もやはり(1)岸駒「双鹿図」を筆頭に挙げ、続いて応挙の虎図(現存不明)を佳品とする。次に挙げるのは、(2)呉春「釈迦如来・騎獅文殊像」(所蔵番号11.4714-5)〔図3〕で、筆力があって見事と評している。本図は呉春には珍しい楷体の仏画で、元三幅対のうち左幅の普賢像が失われている。現在は八双裏の外題部分に寛政11年(1799)の年紀を持つ呉春の落款が貼り付けられているが、この作品の本紙は両幅ともに薄くなっており、おそらく本来は総裏の部分に為書とともに記されていた落款を切り取り、外題として持ってきたものと思われる。今回の調査で、文殊幅を収める箱の身の裏の部分から「維旹文化十三丙子禩大呂上浣佛成道日 梅舊禅院見住全忠代 喜捨主/福岡三右衛門」とある箱書が新たに見出され、ゆえに呉春の制作から17年後の文化13年(1816)になって梅旧院なる禅寺に寄進されたものであることが判明した。(3)応挙の松山水と雪中山水の屏風(所蔵番号11.8501/11.4754)〔図4〕は、それぞれビゲローとフェノロサが蒐集したものであり、本来一具であった確証はないが、現在も館では一双の作品として扱っている(ただし真作とは見なしていない)。断片的な記録ながら、展覧会出品作からフェノロサが重要視した円山四条派作品の抽出を試みたが、その展示内容はやはり円山応挙や呉春、岸駒といった流派の祖となる重要人物から中心に選んでいる印象を受ける。目の肥えた龍池会関係者や円山四条派を学ぼうとする鑑画会の画家たちに向けた展観であることを意識し、個人的嗜好よりも画派の流れに連なる作品や周囲からすでに評価を得た作品を選んだ結果だろう。一方で、1890年にボストン美術館の学芸員としてアメリカへ帰国してからは一転して、主要画家を紹介する展示よりも先に、弟子世代のややマイナーな絵師を集めた展覧会を開催している。1893年5月から翌年にかけて開かれたこの「景文・芳園とその一派を中心とした19世紀初期画幅展」(注15)には、松村景文の師である呉春や同門― 187 ―― 187 ―

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