鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
203/602

付記本研究に際して、ボストン美術館日本美術課長のアン・ニシムラ・モース氏からはフェノロサコレクションに関して、茨城県天心記念五浦美術館の塩田釈雄氏からは岡倉天心ノートに関して御教示を得た。また、山口県立美術館の荏開津通彦氏からは森寛斎関係資料を調査する機会を賜った。末筆ながら、記して感謝の意を表します。⒀Fenollosa, op.cit., p. 175. “I acquired the work in 1879 from a picture dealer who had never heard thename of Ganku, and knew not how to place him. This picture was shown by me several times in theyearly loan exhibitions of the noblesʼ art club in Uyeno, from 1882 onward...”⒂Lawrence W. Chisolm, Fenollosa: The Far East and American Culture (New Haven and London: YaleUniversity Press, 1963), pp. 92-93.Progress, vol. 3, no. 2 (1911), pp. 421-422. 「フェノロサ氏批評筆記」(『大日本美術新報』第23号、1885年)、5-9頁。 『岡倉天心全集』第8巻(平凡社、1981年)、499頁。彩であり、またビゲローを通じて美術館に寄贈されていることもあって、これを目録中の作品と断定することは難しい。⑿「解説目録」164番に以下のようにある。“Japanese say this is equal to Okio, but it is far ahead ofOkio. It is the greatest picture of modern times in Japan probably, Ganku being the only modern artistwho in knowledge, vigor, & ideal feeling approaches Sesshiu...It is one of the greatest animal paintings inthe world.”⒁武村忠編『耕靄集』下巻(1931年)、46頁。同書には同年5月11日条に、同じく明治会堂にて開かれた第五回鑑画会例会での、フェノロサおよびビゲロー所蔵の曽我派作品展観の様子も記されている(47頁)。⒃村形明子氏が「第四回鑑画会四条派展示リスト?」として翻刻紹介する、ハーバード大学ホートン図書館所蔵の資料による。本資料は6名の四条派絵師の名と彼らの60点の作品を列挙するが、前述した武村耕靄の日記にみられる第四回鑑画会での展観内容と一致するものは一つもなく、ゆえにこのボストン美術館での展覧会のための準備資料である可能性が高い。村形明子編『ハーヴァード大学ホートン・ライブラリー蔵 アーネスト・F・フェノロサ資料』第2巻(ミュージアム出版、1984年)、290-292頁。⒄“Paintings by Nishiyama Ho-en: A special exhibition at the Museum of Fine Arts, Boston”, Art and⒅フェノロサとビゲローが蒐集し美術館へ収めた円山四条派作品は、1900年代になって部分的に売却されており、特に1932年に館が「吉備大臣入唐絵巻」を購入した際には、資金の不足分を補うためにビゲロー蒐集の同派作品から70点以上が売立に出されている。『故ビゲロー氏遺愛品浮世絵及四條派畫幅入札』売立目録(東京美術倶楽部、1833年)⒆岡﨑麻美「幸野楳嶺の絵画理念「十格」とフェノロサ『美術真説』─その作画と教育─」(『美術史』第157号、2004年)⒇佐藤道信「鑑画会」(『日本美術院百年史 第一巻』上〔図版編〕所収、日本美術院、1989年)、455頁。― 191 ―― 191 ―

元のページ  ../index.html#203

このブックを見る