鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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訳が刊行され、版を重ねた(注5)。スエトニウスはこれら12人の善政も悪政も記述しているが、古代ローマ帝国の建国から頂点に至るまでの為政者として、完璧な政治の象徴とみなされた。ルイ14世は古代ローマ皇帝をかたどった胸像群を2セット持っていた。1セット目はマザランの旧蔵品を1665年に購入したものである。17世紀前半にローマで制作されたもので、斑岩の頭部に、色大理石の衣服が組み合わされている。1672年にはテュイルリー宮殿の王のアパルトマンにあり、1681年にまだそこにあったことがわかっている。その後ヴェルサイユ宮殿に移され、1682年の時点では内8体がヴェルサイユ宮殿豊饒の間に、4体はディアナの間に飾られた(注6)。1703年の記録では豊饒の間に皇帝の胸像はなく、鏡の間に8体が移動していた。鏡の間にどの像があったかは明記されていないが、後述の1722年の宮殿の目録の調査により、一部が明らかになっている。2セット目はブイヨン枢機卿からルイ14世への贈り物であった(注7)。17世紀前半にローマで制作された斑岩の頭部に、フランスの彫刻家ジラルドンが胸部と衣襞を加えたものである〔図6〕。1686年3月には戦争の間と平和の間にあったが、1686年9月のシャム大使への謁見の時に鏡の間に一時的に飾られ(注8)、翌87年には戦争の間と平和の間に分散して置かれた。2セットとも古代の作品ではないが、同時代人によるガイド本には古代の作品と紹介されていた(注9)。1.2.豊饒の間(注10)豊饒の間は王のアパルトマンにおいて、最初に訪れる部屋の1つである〔図7〕。アパルトマンが始まる部屋という位置だけでなく、その装飾からも、王のコレクションの世界であるアパルトマンの入り口であることが示唆されている。ヴェルサイユ宮殿の王のアパルトマンを訪れるには、大使の階段から宮殿に入り、2階へ上がる。最初に入る部屋が王のアパルトマンのウェヌスの間かディアナの間である。それらの部屋の西側に王のアパルトマンが続き、東側に豊饒の間があった。豊饒の間の南側の隣室には、ルイ14世が金銀細工や壺、宝石、メダルなどの収集品を保管していたコレクション室があった。豊饒の間はコレクション室の前室ということもあって、実際に隣室にある貴重なコレクションが天井画に描きこまれるなど、王のコレクションにまつわる装飾があった〔図8〕。皇帝胸像コレクションの展示も同様にルイ14世のコレクションの1つとして飾られた。豊饒の間は、コレクション室の隣室として王のコレクションの素晴らしさを語るとともに、アパルトマンの各所にち― 207 ―― 207 ―

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