⑳ウィレム・デ・クーニングの一九六〇年代作品における女性像に関する研究研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 博士後期課程 田 儀 佑 介0.先行研究と問題の所在1963年の3月、すでに抽象表現主義を代表する画家として名を馳せていたウィレム・デ・クーニング(1904-1997)は、ニューヨークのマンハッタンからロングアイランドにあるスプリングスにアトリエ兼住居を移した。50年代末の抽象的風景画を経て、この地で彼が取り組み始めたのは、またしても女性像であった。しかし、それはこの画家を代表する50年代前半の「女」シリーズとは全く異なるものであった。油絵具の粘性、塗り重ねていくプロセスの悠長さを嫌い、流動性にこだわって新たに描き出された女性像(注1)は、確固とした堅固さをもつものとしてではなく、極めて可塑性に富む不安定かつ不可解な状態をとどめている〔図1〕。歪曲や伸長、あらゆる方向への膨張に従いながら、その輪郭を外界へと溶解させていくような身体描写、肉を連想させる俗っぽい赤やピンクといった暖色を中心とする色彩、といった特徴は、この画家の作風の変化を物語るのみならず、同時代の裸体画やヌードと比較してみても異彩を放っている。さらに、デ・クーニングは1966年から69年のあいだに制作された絵画作品において、股を広げ、性器の存在を観者に否応なく看取させるポーズを新たに導入している。このポーズは、ピカソ《アヴィニョンの娘たち》の画面右下に位置する女性像(注2)や、ロートレックの《座る女道化師》(注3)、さらにはクールベの《世界の起源》(注4)といった作品にその類似性が指摘されてきた。また、フェミニズム的観点を採用する研究者の多くが、この性的かつ自己露出的なポーズに、女性を(異性愛)男性観者に対して性的に所有可能な身体として描き出す画家の家父長的な特権の行使を読み取っている(注5)。しかし、こうした見解には、同時代の性革命の文脈を重視するリン・クックの研究によって疑義が呈されている。クックは、《The Visit》〔図2〕に特徴的に見られる身体と周囲の環境が融解するような描写に着目しながら、デ・クーニングの60年代後半に頻繁にみられる股を開くポーズは、女性の支配と服従が凝縮されたドラマ・構造というよりも、全身体がひとつの身体器官と化すエロティックな感覚に関わっており、それを同時代の性革命のシンボルとして一世を風靡したヘルベルト・マルクーゼやノーマン・O・ブラウンが希求したセックス(生殖行為)や性器的快楽から解放されたエロスに通じるものであったことを指摘している(注6)。とはいえ、60年代の視覚芸術において、エロティックな感覚や官能的な性質を扱お― 216 ―― 216 ―
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