鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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うとした作家は、デ・クーニング一人というわけではなかった。というのも、デ・クーニングが女性像に新たなポーズを導入した1966年という時期には、性表現を過激に推し進めるエロティックアートが流行しており、さらには可塑的で柔らかい素材を使用するポストミニマリズムの作品がエロティックな感覚に関わるものとして論じられ始めていたからである。しかし、管見の限りでは、そうした同時代の美術動向との関係について踏み込んで論じた先行研究はない。デ・クーニングの60年代後半のエロティックな作品群は、同時代の女性イメージや美術動向とどのような関係を有するものであったのだろうか。そうした問題意識のもと、本論では、同時代の受容を示す言説、さらにはエロティックアートやポストミニマリズムといった同時代の美術動向やそれに紐づいた批評言説を考察し、この作家の60年代の作品群を、性革命に後押しされるかたちで60年代半ばに起こった美術におけるエロティシズムの追求・問題化という動きのなかに位置づけることを目的とする。1.風景と身体の共エロス振デ・クーニングがスプリングスに居を移した1963年頃、ニューヨークでは人物像ないしは裸体を描こうとする新たな動きが顕在化し始めていた。ウィン・チェンバレン(1927-2014)、トム・ウィッセルマン(1931-2004)、フィリップ・パールスタイン(1924-)といった作家たちの作品〔図3〕に見られるように、彼らの多くは50年代にニューヨークを席巻した粗く大胆な筆触を特徴とする抽象表現主義の様式に背を向け、「誇張、感傷性、意図された不明瞭さなしに」(注7)人物像に取り組んでいた。それゆえ、依然として表現主義的な筆触によって女性像を描き出すデ・クーニングの60年代の作品群は、しばしば時代遅れのものとして否定的に判断されていた(注8)。それら否定的な評価は、エルダーフィールドが指摘するように、60年代に入ってカラーフィールド・ペインティングやハード・エッジ、ポップアート、ミニマルアートといった平坦でどぎつい色彩をもつ絵画や彫刻が先進的な美術動向として次々に出現したことによって、表現主義的な筆触が50年代に持ち得ていた価値が破産してしまったことに関係しているだろう(注9)。デ・クーニングの60年代の作品群が示す時代の趣味や流行との不一致を非難するこうした見解は、この画家の同時代の評価言説において大部分を占めるものであったようだが(注10)、しかし、別の観点から肯定的に評価しようとする言説が数少ないながらも存在していたことは軽視すべきでない。『アートニューズ』紙に掲載されたアンドリュー・フォージの批評を見てみよう。そこでは、絵画の肌理の微細な差異を読― 217 ―― 217 ―

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