鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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み取ることで、表現主義として捉える様式的読解を退けている。絵具は皮膚をもっている。ここには張りと艶が、あそこには皺や擦れ、擦り傷がある。それは穴が開いていたり、擦られたりしている。それらの線は、毛羽だった木炭が花開いたような状態から、表面上は(線として)見えないくぼみにいたるまで、たくさんの状態をともなって、下の柔らかい絵具に溝をつくっている。身体と同様、カンヴァスは規律と失調の両方、最大限のコントロールとやりそこない、突発、偶然の両方に晒されている(注11)。身体を正面観でとらえ、すべてを厚みのない面に還元するデ・クーニングの身体描写〔図4〕は、カンヴァスの表面と身体の表面を圧着させ、それらを同一表面上に展開する。カンヴァス=身体の表面上に刻印された張り、皺、擦れ、傷、毛羽立ち、くぼみといった物理的痕跡の数々が、その外部から与えられた力をさまざまに喚起する。フォージは、作品が観者にもたらす効果を詳述して、デ・クーニングの作品を見ることのうちに作動し始めるこうした触知的な感覚を、全身体に関わるものとして以下のように記述しなおしている。肉体から切り離された色、大きさや彩度ないしは視覚に訴える効果の過激さ、過剰な(筆触の)繰り返し、著しい空虚さは、観る者を分散させ、彼を非人格化する効果がある。明るさは喧噪に等しく、空虚さは時間の持続に等しい。点滅する光、痛みが走る瞬間の音、幻覚剤のように、これらの力は外部から侵入する。[中略]それらは敵対的であると同時に癒しでもあり、そこでのひとの反応は、美学的に言えば、受動的かつ行動的だ。その力は、外に向かって原初の世界を探るのではなく、むしろ世界の外と内を反転させ、麻酔をかけるようなものだ。[中略]一瞬にして広がり、やわらかで執拗な喧噪のなかに溶け込んでいくこと。自らのたつ場所を放棄すること(注12)。観者のカンヴァスへの分散、非人格化、世界の外と内の反転、麻酔、溶解、自らの立つ場所の放棄、といった語彙、さらには明るさや光といった視覚に関わる対象を、喧噪、光の明滅、痛み、幻覚剤といった肉体を強襲する経験と接続するレトリックによって、フォージはデ・クーニングの60年代の作品が身体のある種の〈限界=臨界〉に関わっているということを指し示そうとしている。論考の挿図として掲載された― 218 ―― 218 ―

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