鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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《The Visit》に見られるように、周囲の風景に身体が溶解していくような描写は、フォージにとって、内と外の区別の決壊(反転)、受動と能動の両義性を露わにするものであったが、フォージは、それが皮膚という境界面の活性化によってこそ成し遂げられるということを、セックスの経験によって提示している。セックスには、愛する人の体とあらゆる部分が交換可能になる状態がある。肩や膝の大きさや位置が何らかのかたちで流動的になるとき、その振動する皮膚が彼らの共通の媒体となる(注13)。自他の境界にある皮膚=表面が活性化し、重ねられる互いの身体のうちに自らを感覚する相互浸透的な官能に意識が向けられていることからも理解されるように、フォージにとって、デ・クーニングの風景に溶解する身体描写は、強烈な身体的高揚を伴って観者に体験されるものであった。フォージは、デ・クーニングの特異な身体描写に着目することで、絵画を見るという行為と絵画そのもののうちに身体性を回復させようとしている。先行研究の中で、同時代の肯定的な評価としてほとんど言及されることのないフォージの言説から理解されるのは、身体と周囲の風景の切り離せなさに着目しつつ、作品が強烈な身体的高揚や忘我を伴って官能的に体験されることを肯定的に判断しているということであろう。また、風景と共振する身体の官能性という観点は、リン・クックがデ・クーニングの60年代の作品を読解する際に重視した、同時代の性革命において重要な役割を果たしたマルクーゼやノーマン・O・ブラウンの著作と響きあっている(注14)。ただし、本論において重要なのは、エロティックな感覚・経験の追求という論点自体は、美術の分野において決してデ・クーニングの作品のみに限定されたものではなかったということである。次章では、デ・クーニングが女性像に股を広げるようなポーズを導入した1966年頃、ニューヨークで興隆し始めていた女性イメージや美術動向を考察する。2.性表現の過激化とエロティックアートの評価デ・クーニングが人物像に取り入れた股を広げるポーズと同時代の性革命の動きとの関連性を考えるさい、注目すべきは、性表現に対する法規制の緩和にともなって登場したエロティックアートであろう。マニュアル・エンタープライズ社判決(1962年― 219 ―― 219 ―

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